企画を考えるときと、
文章を考えるときとでは、
使っているアタマの部分が違う
企画を考えるときは
アタマにいろんな具を入れて
大きなオタマで脳みそをかき混ぜる
脳みそが溶けていろんな具に
その味が沁み込んで
最後に塩でちょっと調整して仕上げ
コピーを考えるときは
アタマが焼き網になっている
いろんな具を串刺しにしたり
ハマグリを載せたり
それらを突っついたり
ひっくり返したり
程よく焼けたところで
醤油につけて仕上げる
でも、鍋と網とでは使い方が違うので
企画の仕事が終わった後に
コピーをつくるとき
すぐに鍋から網へ切り替えできない
しばらく呆然とするか
ぶらっと散歩するか
気分転換に楽器を演奏するか
そういう気分転換の儀式が
むかしはタバコであったように思う
いまは禁煙してから早や6年
まだたまに喫いたくなるのは
そのような転換の儀式が必要な刹那
本日、いやもう昨日か
ひさびさにタバコが恋しくなった
そんな刹那を何度か体験したのであった