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人が多いということは…

最近、人と人との関わりが薄くなってきているような気がしていた。それは、なぜだろうか。世界的な規模で、何かが進行しているような気がする。人間は、人口密度が濃くなると、人間としての何かを失うように思う。たとえば、東京の私鉄や地下鉄、山手線、朝の通勤ラッシュ。ぎゅうづめにされていると、自分が人間としての尊厳を失って、肉のかたまりになってしまったように感じる。隣にきれいな女性がいても、感覚を麻痺させて、そう、透明な存在へと変身するのだ。変身しなければ、意識を正常に保っていられないのだ。あまりに人間が増えすぎると、コミュニケーションが不全になる。さらにハメルンの笛吹きのような、集団ヒステリーのような、そんな状態が意識するとしないとに関わらず、自然に発生するかもしれない。まだ、まだ、時間はありそうな気がするが、もう手遅れのような気もする。このグラフを見ると、ほんとに、わずかな時間で、こんなことになってしまったのだな。地方都市では、この密集がないから、最近、あまり切羽詰まった意識がなかった。でも、進んでいるのだ、確実に、ね。

>世界人口推移グラフ


山の幸 タラの芽

僕は山菜のなかではタラの芽がいちばんの好みである。先週のイベントでは、タラの芽はもちろん、コシアブラやヤマブドウ、その他、名前を教えてもらったものの覚えきれないほどの山菜がたっぷりと出された。てんぷらで、おいしく頂戴した。
長野に来て、初めて、タラの芽を食べたときの感動はいまだに覚えている。山菜という言葉のイメージから、淡白であったり苦味があったり、そんな葉っぱのようなものが山菜であろうと思っていた。それがタラの芽のボリュームある味わいは感涙ものだった。これって、山菜なの? 今まで知らずに生きてきたのが悔やまれるほどであった。それから、20年間。毎年、タラの芽は多かれ少なかれ食べている。で、ことしはひとつチャレンジをしようと企てた。高さ10センチほどの小さなタラの芽を山から我が家の庭に持ってきたのだ。3本だけ。これが数年後、大きな芽をつけてくれることを願いながら。山の幸が、我が家に幸をもたらしてくれることを祈りながら。

ニリンソウ

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先日、三日、地区の水源地を草刈り側溝の泥あげなどするために山に入った。今年度、僕はそういう役回りなのだ。
一日中、傾斜地を登り下り歩き回り、足がくたくたで棒のようになってしまった。
その途上、まだ一輪しか咲いていないニリンソウを発見。携帯電話で撮影してすぐにブログにアップしようとしたけれど、そこまでの余裕はなく、いまに至る。
一句詠みます。

イチリンで 待っているんだ ニリンソウ

ほぼ日は、10年間。持続したもんが、勝ち!

糸井重里氏は、1980年代コピーライター・ブームをつくった立役者のひとりであり、いつも時代のちょっと先を軽くジョギングしているような存在だった。僕は、コピーライターとしては糸井重里さんよりも仲畑貴志さんをリスペクトしていたけれど。その糸井さんが、ほぼ日刊イトイ新聞を、1998年の6月6日に立ち上げた。

いまから10年前、ちょうど長野オリンピックが開催された年。僕は、長野オリンピック関連の大規模なホームページをプロデュースしていた。当時の長野市内では、ほかにホームページ制作を手がける会社がなかったのだ。僕がインターネットビジネスに着手したのは、その2年前、1996年からだった。これからはインターネットがビジネスのインフラになるぞ、と確信して、WEBサイト制作の事業を立ち上げた。Windows3.1の時代。ネットに接続できるのは、オタッキーな人でなければ無理だった。アメリカ人の建築家やインド人のプログラマーといっしょに、新しい3Dの仕掛けをつくろうとしたり、ネット上で自然保護の植樹ができるシステムをつくろうとしたり、いくらでも夢を描けた時代だ。現実的には、まだまだインターネットは一般的ではないから、当然、HP制作の依頼は少ない。郵政省関連のEコマース研究会に入って、補助金を頂戴してHP制作をやっていたりした。

そんなとき、ほぼ日の登場は、僕にとって、ショッキングな出来事であった。
ネット自体が持つ特性のひとつ、それは、個人がメディアを持つということ。パソコン通信の頃は、その特性はコミュニティを志向した。インターネットは、個人の言いっぱなしを許容して、個人の表現にステージをあたえ、個人のメディアを志向した。個人の出版、個人の放送を可能にした新たなメディアだ。あくまでも個人のメディアであり、それがマスメディアにどこまで拮抗できるか、という議論は無意味だった。というか、従来型の考え方では、マスメディアとの比較をしがちになるのだが、それをあえて個的な部分に絞り込むことによって、結果として対極の位置から、マスメディアと対等になりうる。そんなことを、インターネット黎明期の人たちは直感的に感じていたと思う。だから、わくわくできたのだと思う。
糸井さんは、素人パワーを前面に出すぞ、という格好を装って、プロの広告戦略によって、つねに読者を意識したメディア戦略を展開した。例えば、女子高生の日記がおもしろい、というコンテンツとともに、テレビに出ている有名人の日記も同時に扱ってしまう。あれよ、あれよ、という間に、ほぼ日は人気サイトへと成長した。これは、糸井さんの人脈とパワーがあってのことだ。
だが、ビジネスモデルが当初は見えなかった。どうやって収益を上げるのか?コンテンツはおもしろい、書き手はボランティアでやってくれる。そんななかTシャツを売り出したり、いろいろな試行錯誤があって、イベント的な盛り上がりがあって、あ、やっぱり、モノを売るのか、と。でも、出来たものを売るのではなく、作りながら売る。それが、とってもインターネット的で、すばらしい。マーケッティングをやりながら、制作していくこと。これはネットワークのもっとも良質な機能だ。数々のフリーウェアやLINUXというOSは、ネット文化の財産。それをもっと身近な生活レベルの商品に落とし込んだのがほぼ日ショップなのである。
コピーライター以降の糸井重里さんは、僕にとって眼が離せない存在となった。

 


11月1日深夜1時

最低だ。10月はこのサイトをブログ化してから

最低の記事投稿数であった。

なぜだか、書く気がしない、という日が多かった。

夏の終わりに友人が亡くなって、先月は子ども達の友人が亡くなって…

立て続けで、もう、暫くは喪服を見たくない、着たくはない。

なんで、みんな、そんなに早く逝ってしまうんだ。

メメントモリ、死を思うこと。

僕の父母はすでに他界しているけれど

それは天寿として自然に受け入れることができた。

友人の死は、ウソだろ、というのが素直な思いだ。

今でも、まだ信じることを躊躇している自分がいる。

それでも毎日、寝て、目覚めて、同じように昼間が来る。

季節は巡って、もう、秋の後半にさしかかり、

紅葉だって、うかうかしていたら、散ってしまう。

唐松の鋭い葉が雨のように頭上に降ってくる。

落ち葉が積もり、地肌が茶色く染まる。

彼らの時間は止まったまま、僕らの時間だけが、降り積もっていく。