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なんでもない一日

それはとっても貴重なことのように思える。ひさしぶりに十時間も睡眠をとってしまい、ぐだぐだと寝床から這い上がって、昼間になっていて、カレーライスができていて、それを女房といっしょに食べて、それから、ひとりで仕事場にでかけ、残っていた仕事のいくつかを片付けて、机のまわりを整理して、すこしだけギターを弾いて、また仕事にとりかかって、あ、と忘れていたことを思い出し、それを整理して、息をゆっくり吐いて、お日様が落ちて室内がかげっていくのを感じて、そんな風に過ぎていく一日であった。

この景色は、むかしどこかで見たことがある。少年時代、母親が縁側にいて、同じように夕日を感じたことがあった。

こころの病気になったわけではありません(笑)。たまには、のんびりするのも、いいものだと思います。のんびりするために、温泉にでかけたり、海や山へでかける必要はなく、ぼんやりとのんびりするのも、ときには必要なことのように思います。

過去に呼ばれてる最近のあれこれ

先々週は、中学校の同窓会で銀座へ。先週は、高校の友人が来宅。なぜか、昔の友人たちとの出会いが多い3月であった。

中学生の頃、入部したバスケットボール部は膝の故障で早々と挫折。家にこもりがちになってしまった。ジャズとギターと読書に明け暮れる毎日。われながら暗い。学校での友人は、いたものの、あまり、人づきあいに熱心ではなかった。授業中もほとんど本を読んでいて、1年生の頃は、学年トップから数えて10番台の成績が、卒業する頃はビリから数えて10番台であった。女の子には、人並みの関心はあったけど、アタックするほどの勇気もなく…中学3年の秋に、埼玉県に引っ越すことになり、この時期の転校はツライものがあったので、電車で一時間かけて半年間、卒業まで通学した。

東京都杉並区立中瀬中学校3年B組の卒業生。幹事がいろいろがんばってくれて、ようやく連絡がとれたのは14名。当日、都合がつかず、同窓会に参加できたのは、7名。もう少し、集まってくれるかと思ったけれど、そんなものか。みんな、いい親父やおばさんになっていた。幹事が気を利かせて、当時の卒業アルバムと文集を持ってきてくれた。それぞれ面影が残っていて、なんか、笑えてしまうのだよね。最初は緊張気味に話していたけれど、すぐにタイムスリップ。中学生時代の学友がそこにいた。普段は忘れているのに、意外と昔のことを覚えているのだなと、われながら感心。ただ文集を読むと、あまりにも恥ずかしく、あぁ、これが中学生なのかも知れない。アルバムを眺めると、自分としては暗い日々だったと記憶していたが、意外とほがらかに友人と絡んでいる写真が多かった。けっこう明るくて楽しそうじゃん。記憶が戻ってきた、ボーリングへ行ったり、秋田まで友人たち卒業旅行に行ったり、人づきあいもよかったじゃん。

銀座の一次会は、午後2時から4時まで、そのあと、近くのカラオケに行くことになり、6時までつきあった。なんてことはないけれど、楽しい時間であった。地位も身分も関係なく、ただ同級生というつながりだけで話ができる。これ以上の気楽さはないでしょう。こういう心の解放の仕方もあり、ですね。次回は、三年後。出席者10人以上をめざして、やろうということになった。

そういえば最近、公共広告の仕事がないなぁ

作品マナーポスターあるブログで、あるコピーライターが動物愛護に関する公共広告的なコピーをいま頑張って書いている、という記事を読みました。モノを売るだけではない、ちょっと意見広告的なニュアンスの公共広告的な仕事って、やりがいがありますよね。特にコピーライターは言葉の力によって、世の中の意識が少しでも好ましい方向に向かうための手助けができる。しかも仕事として報酬まで頂戴して…これは何というか、コピーライター冥利というか、使命感に燃える仕事になるのであります。
その昔、20年以上前の東京時代、営団地下鉄と呼ばれていたところがクライアントで、マナーポスターのコンペがありました。半年に一回くらいのペースで開催され、その都度6か月分のポスターが決定しました。僕は、ある中堅印刷会社経由で、このコンペに参加して、大手代理店D社やH社とわたりあって、何本か採用となりました。その中のひとつがこれ、「読めば情報。置けばゴミ。」このフレーズを生み出すために、かなりうんうんと苦しんだ思い出があります。言葉が出てきたときはすっきりしました。雑誌を置きっぱなしにしてはいけないよ、ということをどう言えば、嫌味にならず、誰にでも共感できるものになるか。当たり前のことをみんなに伝わるように言うのって、けっこう難しいんですよ。誰だって、お説教は聴きたくないしね。現代なら、「読めば情報、置けばゴミ、出せば資源」って感じになるのかな。
長野に来てからも、エイズ関連のポスターや白馬のオオタカに関する新聞広告など、いくつか公共性の高い広告をやりました。伝わる言葉をつくりたい。これ、広告コピーライターの基本です。それにしても、最近は、こういう仕事がない。また、やってみたいなぁ。

AuからDocomoへ動画を移動する

写真データをすべて移動したあとに、まだ動画データがAuに40ファイルも残っていることがわかった。これも、思い出の記録なので、どうしてもDocomoに移行したい。よしっ!と作業を始めたが、これもけっこう厄介であった。下記に試行錯誤した上での手順を記録する。

  • 1、まずAuにSDを入れてムービーフォルダを開き、全データを表示させて、サブメニューから「SDへコピー」を選択。データをSDに保存する。
  • 2、SDをPCで読み込み、そのデータをすべてPC上にコピーする。
  • 3、PC上で、Au動画の拡張子を確認すると、3GPのものとAMCのものが混在していた。これらをすべて3GP仕様に統一して、なおかつ、ファイル名を Mli???.3GPに統一する必要がある。
  • 4、携帯動画のデータ変換では携帯動画変換君が定番のようである。しかし、AMCにだけは対応していない。これはAuの独自仕様らしい。AMCを3GPにコンバートできるのはいろいろ探したが、いまのところ、ひとつだけ。QTConverterを使用した。ただ、ひとつだけ難点がある。複数のファイルを選択できないのだ。泣く泣く、ひとつずつ変換していった。
  • 5、次にDocomoにSDを入れて、動画を撮影してSDに保存。動画の保存先は、

    \SD_VIDEO\PRL001\Mli001.3GP
  • 6、前回使ったファイル名の変換ソフトを使用してPC上で動画ファイルの連番化を行う。このとき、拡張子も念のため、大文字にしておく。このPCでカードを読み込み、さきほどのDocomoの動画フォルダにすべての動画ファイルをコピーする。
  • 7、DocomoにSDカードを入れて、「メニュー」→「データBOX」→「microSD」→「機能」→「管理情報更新」→「iモーション」にチェックを入れて「完了」を押すと「管理情報を更新しますか」「はい」で暫く待つ→ファイルが多いとけっこう待たされる→
  • 8、SDカードの状態で「iモーション」→「通常コンテンツ」→「PRL001」で、すべての動画がめでたく閲覧できるようになった。

けっこう時間がかかってしまった。でもSDカードはこれからは必要になるかも、である。

SDカードを買うならこの辺りが定番 ↓


漫画家になるのが夢だった

つい先ごろ他界した漫画家・赤塚不二夫の自伝的ドラマをテレビで観ました。伝説のときわ荘がでてきて、胸がきゅんと高鳴りました。

手塚治虫に憧れ、漫画家になることを夢見た青年たちがひとつのアパートで暮らす。まるで合宿所のような生活。そこから赤塚、石森、藤子といったやがてビッグネームになる漫画家が巣立っていくわけです。昔の漫画好きなら、誰もが知っている。今となっては、知る人ぞ知る、ときわ荘です。

歴史を振り返ると、このような現象って、けっこうあるんですね。同じような夢を抱いた仲間たちが、ある時期、集まって活動して、それから、みんながそれぞれに夢を実現していくという現象。夢が共振するという感じでしょうか。

僕は小学生のころ、漫画家になろうと夢見ていました。暮らしていた杉並区のお隣、練馬区には漫画家のアトリエがたくさんあって、友達といっしょに、ちばてつや宅を訪問したことがあります。本人には会えず、スタンプを押してもらって、しょぼしょぼと帰ったのが懐かしい。

手塚治虫や石森正太郎の漫画家入門を何度も何度も繰り返して読みました。枠線を描くのに必要なカラスグチと、なぜかベレー帽を親にねだって買ってもらいました。少年時代からカッコウから入る性格だったんですね(苦笑)。

僕は、漫画家という職業を子供たちに夢や勇気をあたえてくれる素晴らしい仕事だと、本気で考えたのでありました。きっと、僕自身がいろいろ勇気づけられたんでしょう。

そんな夢を描いた初心を、このドラマは思い出させてくれました。けっきょく漫画家にはなれませんでしたが、広告づくりをするとき、どこかで、夢や勇気、というものを忍ばせたい、といつも思っています。そういう意味では、僕の中で初心は貫徹されているんでしょう。たとえ小さなことであっても、そこに夢や希望が見出せれば…それがウソになってはいけないし、難しいんですけどね。