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いい仕事って、どんな仕事だ

今年も残すところ、あと一ヶ月。独立してから3年が過ぎた。4年目は、新しい展開を考えようと計画していたのだが、日々の忙しさにまぎれて、なかなか計画が進まなかった。わかってる。多忙を計画の遅延理由にするのはズルイ。しかも儲からない忙しさなんて、最悪だ。

広告の仕事そのものを根本的なことから考える時期に来てる。仕事の攻め方、受け方、流し方、そしてスタッフのレイアウトなど。

広告が変質するであろうということは、インターネットの黎明期から感じていた。その予感は大筋において外れてはいない。こうなるだろうな、という方向になっている。想定外のことも、もちろん多く、その最たるものは、広告クリエイターは、従来よりも「考える時間」をたくさん創出できるようになる、というものだ。よく冗談まじりに話していたのは、将来、広告制作会社は「考える人」数人と、「操作する人」数十人で構成されるようになるよ。で、そのオペレータは主婦と学生のバイト、24時間対応さ、と。だが、実際にはIT化の進展によって、「考える人」はほかの作業まで、できるようになってしまい、やがてデフレの余波によって、やらざるを得なくなり、「考える時間」はどんどん奪われていった。

ちょっと待てよ。どこかで、ボタンを押し間違えたのではないか?

その辺を、探っていくことで、これからのビジネスのあり方が見えてくるように思うのだ。

新聞の広告賞というもの

毎年、新聞社が主催する新聞広告賞というものがあって、僕がクリエイティブディレクター&コピーライターとして関わった広告が、準優秀賞というものを受賞しました。ほかの受賞作品が軒並みカラー広告だったのに、これだけがモノクロ表現でした。賞は、クライアントに対して授与されるものですから、制作者としての僕にはなんら特典がありません(笑)。

僕にとっては、賞よりも読者の共感を呼べたかどうかが気になるところ。その点、この作品は実際のユーザからの反響が良くて、その生の声がクライアントを通して耳に入ったときは、賞の知らせよりもほんとうに嬉しかったです。

僕がこちらの地方に引っ越してきた当時、初めて手がけた新聞広告が、やはりこの広告賞の最優秀賞に選ばれました。新聞広告は、東京にいた頃から、好きなメディアで、大手新聞社の全国紙に掲載する広告を何度も手がけました。コピーライターとしては、とっても、楽しくやりがいのあるメディアです。毎朝、新聞に眼を通している読者、彼らの眼に止まるキャッチフレーズを考え、ビジュアルとの相乗効果を練って、ボディコピーを読ませる仕掛けを仕込んでいく…。でも、残念ながら、ここ20年間近く、僕個人は、新聞広告のクリエイティブには縁が薄くなっていました。好きなのにねぇ。

新聞広告には、新聞の記事と同じように何らかのニュース性が必要ではないかと思います。読者が新聞をなぜ読むのか。読者が新聞に期待しているもの。その辺をうまく捉えて、クリエイティブに落とし込むことが求められます。テレビCFは、ニュースよりも瞬間芸。どれだけ印象に残せるかが勝負みたいな。でも、まぁ、最近は、クロスメディア化してますから、あんまり決めつけないで、つねにニュートラルな気持ちでのクリエイティブを心がけています。逆に、瞬間芸のような新聞広告、読ませるテレビCFが出てくれば面白いのに…とか、ね。

コピーライターの学校、第二期終了

リアル版コピーライターの学校、第二期がさきほど終了。
全12回のコースですが、今回は、地域の行事と重なり、
あしかけ8ヶ月かけて、かなり不定期の開催となりました。

僕の講義は、毎回、課題を出して、その提出物に対して添削指導する形式ですが、
生徒さんの個性に合わせて、それぞれに課題をアレンジしていくのが特色。
第一回目の講義で提示した課題は、「自己紹介の作文」でした。
どれくらい文章力があるのか、これで、診させていただきます。
自分のことですから、内容は自分がいちばん良くわかってるはず。
で、提出された作文は、ところどころ、きらりと光る言葉を持ってるのに、
文章の構成力が足りないために、伝えたいことが伝わらないものでした。
「文章をどうすれば膨らませられるのでしょうか。
400字、800字なんて、書くのにとっても苦労するんです」
そんな生徒さんでしたが、最終回、同じ「自己紹介」の課題で、
見違えるほどに、素晴らしい作文を提出してくれました。
あれれ、こんなに文章がうまかったっけ。正直、嬉しかった。
本人にじかに聞いてみると、不思議とスラスラ書けましたという返事。
書いていて、楽しさを感じたのも初めての体験だったようです。
12回の講義の中から、きっと何かを掴んでくれたんですね。
水泳といっしょで、一度、覚えたコツはもう忘れません。
生徒さんは、広告の世界の人ではないけれど、
ここで学んだことを、自分の仕事にも生かしてくれそう。
自分の知識が少しでも人のお役に立てた実感。
これが、教師冥利というものなのでしょうか。

さて。第三期もいちおう開講予定です。
9月はお休みして、10月からの開講をめざします。
興味のある方は、こちらにお問合せください。

広告が好きなのか、表現が好きなのか

イベントが終わって、たまっていた仕事を整理して、お盆だというのに、仕事モードですが、それでも通常のように電話に追われることもなく、ゆるゆるたらたらとパソコンに向かっています。仕事からの逃避もゆるゆると、よく読むブログから、さらにそこからリンクを辿っていったり、特に、広告関係のブログを見ていると、けっこう面白いものが多いですね。

広告制作を職業にしている人は、やっぱり、広告が好きなんだな。表現することが好きなんだな。

好きなことを商売にしているのは、ひとから羨ましがられることなんだけど、ほかの仕事よりだんぜん残業が多くって、徹夜なんてこともあったりして、時間的には、羨ましがられない仕事ですね。それでも「好きな」仕事だから、若い頃は、残業も徹夜も、ちっとも苦にならず、自分のベストを尽くしたものです。広告会社に所属していれば「好き」ということが雇用側にとって、時間外労働の免罪符になっていたりするのですね。双方が了解の上での共犯関係です。

僕のお気に入りの広告業界ブログのひとつ。
ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

この17日付けの記事で以下のような文章に僕は大きく頷きました。

時代は変わっても、広告なんて、かつて絵描きになりたかった人や、もの書きになりかたかった人たちの能力を利用してつくるものであるのには変わりがなく、やっぱり普遍的なクオリティってのはあります。

広告が好きな人と、表現が好きな人。僕がコピーライターとしてのキャリアを始めた東京では、この2タイプの人種がいて、特に前者の広告オタクとでも言うような人が六本木や赤坂界隈には多かったように思います。僕の周りには後者が多く、コピーライターの先輩は脚本家崩れだし、画家崩れのデザイナーとか、どこか負い目のある伏し目がちな視線で広告を語るのでありました。

どちらのタイプがいい広告をつくるのか、一概には言えませんが、ただ広告を参考にしていてはその広告を超えるのは難しいのではないでしょうか。いろいろな視点、特に人間に対する視点をしっかり根底に持った上での表現は、たかが広告ではあっても、普遍性を持ちうるのだと思います。

祭りのあと 思うことあり

先週の土曜日、僕の暮らす飯綱高原で2008オトナリ・グリーンセッションというイベントが開催され、1000人の来場者を集めて無事に幕を閉じました。音楽とアートと飲食と、それらを結ぶキーワードはエコロジーでした。ライブのゲストは、白井貴子さん、HARCOさん、Leyonaさん、オギタカさん。竹でつくったテントを、湖上ステージを囲むように林の中に20張り並べました。このテントでは、オーガニックな飲食やクラフト、エコロジカルなアート作品や活動紹介が展開されました。

終わって2日目、ほんとに、ホッとしました。燃え尽きました。思えば、昨年の企画段階から携わり、ゼロの状態から、モヤモヤしたものをカタチにしていき、テーマを決めて、人と関わり、交渉し、あるときは妥協し、あるときは強行して、開催直前の2週間は、通常の仕事が進まず、お客様にご迷惑をおかけすることも多々あり…まぁ、正直なところ、ボランティアなんだから、通常の仕事を圧迫してはダメなんですけど、イベントの主催者・企画者であり、運営リーダーでもあるわけで、これだけの大規模な祭りは、やりはじめると、どうしたって中途半端ではすみませんでした。

約半年間、イベント実現のために動いて、あらためて思ったことは、人間って、いろいろ、「わがまま」を言う生き物なんだなぁ、ということ。まぁ、こちらも、わがままを言ってお願いをするわけです。おたがいさまですが、それにどうリアクションしてくれるか。押したり、引いたりしながら、両方にとって、ベストな選択を探す。それが理想だけど、バランスは、きちんと定規で描いたように正確な平行にはなりません。どちらかの負担が大きくなったり、どちらかが得をしたり、損をしたり、ゆれ、ぶれがあって、理想通りには行きません。

しかも、いろいろな課題難題をクリアしながら進んできて、ようやく、開催当日を迎えても、その寸前にまたまたアクシデントが起こります。イベント運営に関してはそれぞれ担当を決めて分担しているのですが、仕込みの段階からすべてに関わっているのは僕だけなので、小さな事柄でも連絡が集中してくるのです。小さなわがままが、あっちこっちで勃発します。けれど、ここまで来ると、出来ること、出来ないことが明確になっているから、まだ、いい。白と黒がはっきり言えます。

この白と黒の判断が、開催までまだ日程的な余裕がある場合は、なんともファジーになり、出来るかもしれないことは出来るように動きたいと、僕は思ってしまったのですね。その動きの部分で人へのお願いが何倍にも増えていきます。借りをたくさんつくることになります。気持ちよく、ふたつ返事で要望を聞き入れてくれる人、二の足を踏む人、最初から話しにならない人、ともかく、他人のわがままを実現するために、お願いのしまくりです。ようやく目処がついて、わがままの発信源に結果を返すと、そこでも、いろいろなリアクションがあります。感謝してくれる人、当たり前の顔をする人、さらに次の要求を口にする人、実に千差万別の反応がありました。

気持ちの貸し借りをきちんと出来る人。相手の労力に対してイマジネーションできる人。そういう人は、ふつうに素直にお礼の言葉を口にできる。またお詫びの言葉も口にできるんですね。そういうコミュニケーションがとれたときは、ほんとうに嬉しいものです。疲れなんて、吹き飛びます。

僕は広告屋さんだから、イベントの広報物はつくっても、イベントの主催者としての立場はよく考えたら、結婚式以来、初めてでした。主催者として関わると、人間模様がよく見えてきます。今回のイベントは、実は、とってもいい人生勉強になりました。こういう世界をたっぷり経験している人は、人間関係の達人になれるのではないか。自分自身の未熟さを思い知るとともに、これからの課題が少しわかってきたように感じました。