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人が多いということは…

最近、人と人との関わりが薄くなってきているような気がしていた。それは、なぜだろうか。世界的な規模で、何かが進行しているような気がする。人間は、人口密度が濃くなると、人間としての何かを失うように思う。たとえば、東京の私鉄や地下鉄、山手線、朝の通勤ラッシュ。ぎゅうづめにされていると、自分が人間としての尊厳を失って、肉のかたまりになってしまったように感じる。隣にきれいな女性がいても、感覚を麻痺させて、そう、透明な存在へと変身するのだ。変身しなければ、意識を正常に保っていられないのだ。あまりに人間が増えすぎると、コミュニケーションが不全になる。さらにハメルンの笛吹きのような、集団ヒステリーのような、そんな状態が意識するとしないとに関わらず、自然に発生するかもしれない。まだ、まだ、時間はありそうな気がするが、もう手遅れのような気もする。このグラフを見ると、ほんとに、わずかな時間で、こんなことになってしまったのだな。地方都市では、この密集がないから、最近、あまり切羽詰まった意識がなかった。でも、進んでいるのだ、確実に、ね。

>世界人口推移グラフ


コピーライターの役割って?

新人の頃は、ひたすらデスクに座って、コピーをばんばん書いていました。雑誌広告が多かったこともあって、当時から、ビジュアルもいっしょに考えて、下手なイラストを添えながら、2Bのシャープペンシルを消耗していったのであります。

それから取材編集に興味が移って、あるPR誌をメインにあつかう広告制作会社に移りました。月刊ペースで発行される1冊のPR誌を担当。クライアントとの編集会議からデザイナーとの打合せ、進行管理、もちろん取材と文章は自分ですべて手がけました。25歳頃ですね。取材で日本各地を飛び回り、ギャラは安くても楽しみながら仕事できました。

それから、数社、移籍しましたが、僕の役割は、コピーライターからディレクターの領域になり、プロジェクトをまとめることが多くなりました。ある会社にいたときは、コピーはほかのライターに依頼して、クライアントとの打合せと進行管理が主要な業務となり、いわゆるプロデューサー、AEとも呼びますが、そんな感じの30歳頃です。

長野へ移ってからは、ひさびさにコピーライターに集中できました。しかし、これも入社して2年くらいで、ディレクション業務やスタッフの管理業務がメインとなってしまいました。34歳頃です。

独立してからは、自分で仕事を請けたり、代理店から受注したり、パターンはいろいろですが、コピーライターとしての業務量がどか~んと復活しました。特に、コマーシャルの仕事は、面白いですね。絵コンテをふくめて、企画立案したものが実際にオンエアされるまで、撮影編集を含め、トータルに関わることができ、その泥臭い現場感覚を、僕は好きなんです。

コピーライターという職業は、地方都市では、なかなか成立しにくい。企画代とかコピー代とか、そういうソフトに対して理解が足りないのです。簡単に言うと、コピーを書いているだけでは、家族を養っていくことはできません。コピー、デザイン、撮影、印刷などを含め、トータルに受注しなければ、企画フィーが捻出できません。悲しいことに、それが現実。

コピーライターは、広告表現の肝となる言葉をつくるわけで、それをどのようにビジュアルに反映させるか、という表現プロセスのすべてに関与したほうがいいと思います。クリエティブディレクターであり、プロデューサであり、コンサルタントであり、その役割は広告つくりの根幹。特に地方でやっていくには、マルチな役割が必要であります。


師走ですが、それはそうと…

なんとなく今年一年を振り返ってみる…という12月になりました。これからマスコミ各社がこぞって、2008年の総括をするでしょうね。政治、経済、社会、どれをとっても混乱の極みにまっしぐらに突き進み、混沌としていたような気がします。だから、というわけではないけれど、自分にとっても、なんだか、混沌とした一年だったような気がします。まっすぐに進むのが難しい時代。前へ行くか、立止まるか、撤退するか…後ろ向きなんて、今まで考えたことがなかったのですが、撤退することが前へ進むために必要だったりしました。これは単純に前へ突き進むよりも勇気がいります。誰にでもいい顔をしてしまう性格なので、嫌われることは度胸がいるんだなと思い知りました。

広告は、まっさきに経済の影響を食らいますから、このような地方都市でも大変です。地方の広告は、クリエイターは、これから、どのような方向をめざしていけばいいのか? 考える時間があるときに、たっぷり考えて、戦略を練っていかねばなりませんね。

ETCほか、いろいろ

地方都市で、しかも標高1000mの高原に住んでいる僕は、マイカーが必需品である。県庁近くの事務所まで約10キロ、毎日、自動車通勤なのだ。

仕事上、けっこうあっちこっちと飛び回っており、ハイウェイもよく利用する。ETCの存在は、もちろん知っていたが、搭載するのが面倒くさそうで敬遠していた。そんなある日、ある人からETC車載器が5千円台になったんだよ、という話を聞いて、ちょっと心が動いた。

ネットを調べてみると、いろいろなETC車載器の選択肢があることがわかった。だいたいが提携クレジットカードの申込みを条件としており、それに付随して車載器を安く提供するというしくみだ。

その中で、いろいろ比較検討して、僕が選んだのは、これ!首都高カードだ。首都高カードの申込みが条件で、先月の時点では、5,500円支払えば、その中に車載器とセットアップと取付費用が含まれていて、好条件だった。いま、アクセスしてみると、4,980円~となっている。インターネットから申し込むと、まずカードが届いて、さらにETC車載器の申込みをすると、その本体がセットアップされた状態で届き、それから近場の取付代理店に持ち込めば、タダで取付けてくれるのだ。ただし取付代理店の数が少ないのが難点。長野市内には一社しかなく、そこは輸入車NGだったので、お隣の飯綱町のクルマ屋さんに持ち込んだ。輸入車対応の追加料金2,100円取られたが、一時間待って作業完了。

僕の愛車もついにETC対応となった。先日の東京出張の際に、ETC初体験。インターチェンジ入口のバーがほんとに開くかどうか、どきどきしながら、時速10kで通過。するするとバーが上がったとき、おお~と、声を出してしまった。どんなことでも、初体験は感動するものだ。慣れてしまえば、なんてことはないんですけど、ね。これで、深夜割引をうまく利用すれば、遠くまで、リーズナブルな高速料金で旅に出ることができる。ちょっと、新鮮なわくわく感をもらえるETCではある。

時間がゆったり流れている…お盆です

お盆という言葉が、ここ信州に来てから、とっても身近になった。東京で働いていた頃は、お盆だからと言って、休みをとる人は、そう多くはなかった。所帯持ちであれば、子供といっしょに夏休みを過ごすために、7月末から8月のアタマにかけて休みをとる人が多かった。独身者であれば、時期をずらして9月くらいに夏休みをとるというパターンだ。

ところが、長野では、お盆の8月13日~15日にかけて、会社全体でいっせいにお盆休みになるところが多い。観光客相手のサービス業は別にして、お盆の3日間、一般企業はビジネスにならない。これは、どこの地方都市でも、同じようなものだと思う。
そんな今日は15日。僕は事務所で仕事をしている。でも、いつもの金曜日と異なり、電話は鳴らない。道を歩く人も少ない。つまり、静か、である。落ち着いて、デスクワークができる、またとない環境。自分のペースで時間を組み立てながら、「書く」仕事をこなせる。

とはいえ、お盆だから、ご先祖様のことを頭に浮かべ、また敗戦記念日でもあるわけで、戦後63年という時間の重みも感じながら、今宵は、しばし、瞑想の時間をとろうと思う。、