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なんでもない一日

それはとっても貴重なことのように思える。ひさしぶりに十時間も睡眠をとってしまい、ぐだぐだと寝床から這い上がって、昼間になっていて、カレーライスができていて、それを女房といっしょに食べて、それから、ひとりで仕事場にでかけ、残っていた仕事のいくつかを片付けて、机のまわりを整理して、すこしだけギターを弾いて、また仕事にとりかかって、あ、と忘れていたことを思い出し、それを整理して、息をゆっくり吐いて、お日様が落ちて室内がかげっていくのを感じて、そんな風に過ぎていく一日であった。

この景色は、むかしどこかで見たことがある。少年時代、母親が縁側にいて、同じように夕日を感じたことがあった。

こころの病気になったわけではありません(笑)。たまには、のんびりするのも、いいものだと思います。のんびりするために、温泉にでかけたり、海や山へでかける必要はなく、ぼんやりとのんびりするのも、ときには必要なことのように思います。

コピーライターの役割って?

新人の頃は、ひたすらデスクに座って、コピーをばんばん書いていました。雑誌広告が多かったこともあって、当時から、ビジュアルもいっしょに考えて、下手なイラストを添えながら、2Bのシャープペンシルを消耗していったのであります。

それから取材編集に興味が移って、あるPR誌をメインにあつかう広告制作会社に移りました。月刊ペースで発行される1冊のPR誌を担当。クライアントとの編集会議からデザイナーとの打合せ、進行管理、もちろん取材と文章は自分ですべて手がけました。25歳頃ですね。取材で日本各地を飛び回り、ギャラは安くても楽しみながら仕事できました。

それから、数社、移籍しましたが、僕の役割は、コピーライターからディレクターの領域になり、プロジェクトをまとめることが多くなりました。ある会社にいたときは、コピーはほかのライターに依頼して、クライアントとの打合せと進行管理が主要な業務となり、いわゆるプロデューサー、AEとも呼びますが、そんな感じの30歳頃です。

長野へ移ってからは、ひさびさにコピーライターに集中できました。しかし、これも入社して2年くらいで、ディレクション業務やスタッフの管理業務がメインとなってしまいました。34歳頃です。

独立してからは、自分で仕事を請けたり、代理店から受注したり、パターンはいろいろですが、コピーライターとしての業務量がどか~んと復活しました。特に、コマーシャルの仕事は、面白いですね。絵コンテをふくめて、企画立案したものが実際にオンエアされるまで、撮影編集を含め、トータルに関わることができ、その泥臭い現場感覚を、僕は好きなんです。

コピーライターという職業は、地方都市では、なかなか成立しにくい。企画代とかコピー代とか、そういうソフトに対して理解が足りないのです。簡単に言うと、コピーを書いているだけでは、家族を養っていくことはできません。コピー、デザイン、撮影、印刷などを含め、トータルに受注しなければ、企画フィーが捻出できません。悲しいことに、それが現実。

コピーライターは、広告表現の肝となる言葉をつくるわけで、それをどのようにビジュアルに反映させるか、という表現プロセスのすべてに関与したほうがいいと思います。クリエティブディレクターであり、プロデューサであり、コンサルタントであり、その役割は広告つくりの根幹。特に地方でやっていくには、マルチな役割が必要であります。


アンドロイドはPDAの夢を見た、それは正夢だった

いまから一年半前に、Googleのアンドロイドについて記事を書いた。つい先日、Docomoが満を持してGoogle携帯を発表。これでスマートフォン戦線は、iPhone、BBBと続いて、またまた過熱気味である。
15年くらい前から携帯電話がいつかPDAのポジションを奪うだろうと予測されてはいた。僕はHP100LX・200LXに始まり、いまはもう存在の影すらもない、いくつものPDAを使ってきた。ようするに小さなITおもちゃが好きだったのだ。パソコン通信ネット、のちにはインターネットからフリーソフトを仕込んでカスタマイズするのに夢中になった。
でも、結局のところ、スケジュールに関しては、アナログ手帳に勝るものはなく、メモも筆記に勝るスピードはなく、僕が愛したPDAたちは、みんな机の引き出しの奥で長い眠りに入ったままだ。あの熱狂は何だったのだろうか、と今にして思う。これは、年齢のせいもあるかなぁ。うちの大学生の息子は、アナログの手帳を渡してもまったく使わず、スケジュール管理を携帯でやってる。細かなスケジュールが小さな画面にぎっしり入っていても、まったく抵抗がないようだ。

ともあれ、最近の携帯端末の進化スピードは加速しており、30歳代の若い人に、これいいんですよ、とスマートフォンを見せられると、ちょっと心ゆらぐものがある。携帯電話の進化が、どのようになっていくのかという問題は、広告業界にいるものにとっても重要な課題であり、オタク心ではなくビジネス心で関心を持つのは当然だろう。あくまでも、仕事として、だ。うん、そうだ、そうに違いない。

プロの広告屋が減って、どうなる?

告白します。僕は広告づくりが好きです。でも、最初から好きだったわけではなく、コピーライターになろうと思ったのは、なんだか、楽してお金を稼ぐことができるように思えたからです。食うための職業として、ライター家業が向いているんではないか、と。広告代理店に入って、毎日、地獄のように原稿用紙と戦っているときは、ちょっぴり後悔しました。僕には向いていないんじゃないか、と。こんなにシンドイ仕事は、ほかにはないぞ。そのうち、そのシンドサが快感になっていき、若かったせいもあって、アドレナリンを出しながら徹夜して、いい仕事ができると、マゾヒスティックな爽快感を覚え、ますます深みにはまっていくのでありました。

東京で仕事をしていた頃は、メーカー系のクライアントが多く、新商品カタログ、ポスターから新聞広告や雑誌広告などのマスメディア広告まで幅広く手がけました。広告の表現、特に言葉がチカラを持って、世の中に、どんどん広がっていくのを感じました。僕が書いたということを知らない人から、あのコピーはいいよね、と言われると、表現者として感涙モノでした。

広告をつくりながら、広告というスタイルを借りながら、そのなかに、時代へのメッセージみたいな、文化的なというか、俺たちは広告というカルチャーをつくっているんだ、どうだ、みたいな驕りがあったような気がします。モノを売るための広告が、文化になってしまったあたりから、同時に広告のパワーが失われていったのではないでしょうか。広告批評の廃刊は、とっても象徴的な出来事です。文化としての広告がここで幕切れになりました。

インターネットも広告のありかたそのものを変質させようとしています。CMの15秒も長すぎる。広告は、瞬間芸の領域に入ってきています。人が瞬きする間に、人の心をつかむような表現が求められています。

ネット時代になれば、ますますライターの需要が高まるはずだ、と僕は10数年前から叫んできました。ある意味では、当たっており、ある意味では、外れでした。ブログというカタチで表現者が氾濫してきたという意味で、当り。職業人としてのコピーライターの存在価値が薄れてきたという意味では、外れ。

それでも、やはり、プロによる広告づくりに、チカラは存在します。プロでなければ、紡ぎだせない言葉やビジュアルがあり、その価値を知っているかどうかが、これからの企業の盛衰を握ってくると思います。実は今までもそうだったんですけど、ね。特に最近、プロが軽視されるなかにあって、プロの価値を認めるというのは、勇気あるトップや広告担当者がいなければできませんから。

朝日を拝むなんて、久しぶりだ

昨夜から今朝にかけて、久々に夜を徹しての仕事になった。
仕上げた原稿をメールで送ったのが朝の5時。
いやぁ、それからお風呂に入って、6時から8時まで睡眠。
朝一番で出かけて打合せを終えてから、それから、
別の企画書の続きを書いて、なんだか、
頭がぼんやりとしてはいるが、身体は快調。
夕方になると、さすがに、眠気が襲ってきている。
若い頃は、徹夜をすると、逆に、ハイな神経になったものだが、
いまは、まったりとダルくなってしまうのですね。
今夜は、しっかりと定時に寝て、リズムを取り戻すのだ。
明日も、CMやらパンフやらの仕事をしなければならん。
冴えた頭にしなければ、ね。