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書く気がわかないとき

毎日書くと決めたわけではないし、週に1回書くと決めたわけでもないし、それでも10日間も書かないと、なんとなく、申し訳ない気分になってしまう。誰に対して申し訳ないのかというと、そんなに明確に言えないのだけれど、きっと、あれだな、アクセスログっていう奴を見て、そう思ってしまうのだな。こんなブログでも毎日300人くらいの訪問があって、それが最近は200人近くまで落ち込んでいて、ブログを更新していないとやはりどんどん落ちていくのである。

ぼくのブログは全部で358の投稿記事で構成されている。今書いているこれをアップすると359になる。で、いろいろなカテゴリーで記事を書いていて、思わぬときに、思わぬ記事へのアクセスが増えていたりする。最近では、カホンについて書いた記事へのアクセスが大変なことになっていて、あとはWordPress関連とか、PDFとか、フリーソフトの記事が検索エンジン経由でヒットしている。しっかりとすべてのアクセスログを分析したわけではないけど、傾向としてはやはりITに関するニッチな情報に需要があるようだ。

広告とかWEBに関する記事は、自分としては力を入れて書いたものもあってお気に入りだけれど、マーケットからはそれほど求められてはいない、ことがわかる。

10日間も書けなかったのは、仕事のリズムが良くなかったからだろう。頭を遊ばせる時間がとれなかった。今日は、土曜日で、仕事も一段落して、少し落ち着いた。

WordPressテーマを変えて、少し気分一新です。さぁ、いろいろ、がんばるぞ。

久しぶりにお江戸

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ちと都心から外れた場所ばかりに仕事があって、まずは本郷で打ち合わせ。歩いてる人たちがみんなお利口さんに見えます。

無駄から生まれ、理想へたどり着く…

世の中、不景気ということで、最近、仕事の受注量が減ってしまいました。この分だと、夏から秋にかけて、暇になるなぁ。そんなときに限って、親しい人たちから、いろいろ企画ものを依頼され、あれもこれもボランティアで一肌脱ぐ羽目になり、まぁ、お金は天下の回りものだから、と自らを慰めつつ、さらに夏は、ふるさと遠野へ、旅にでも出かけようか、と計画したりして、経済的な困窮にますます拍車をかけております。それでも、だいじょうぶ。心だけは豊かに充実しています。

効率を優先する組織では、一銭にもならないボランティアなど許されないし、まして、そんなときに旅行なんて、とんでもないことでしょう。でも、いまは思うんですね。売上げが落ちたときに、がちがちの頭でみんなが集まって会議して打開策を考えても危機感ばかりが募って、いい発想なんかは生まれてこない。誰それが悪いから、こうなったんだ、とか、もっと時間を管理しなくちゃいけない、とか、そんなマイナスな内向きの議論になりがち。会議を開いているだけで安心したりして、やたらと会議の時間が長くなってね。それじゃ、未来が見えてこないでしょう。

この夏、遠野への旅は、ある目的があります。いまはまだ書けないけど、それは将来につながることです。こういう、現状では無駄な行為に、どれだけ目線を向けることができるか。目先ではない、ちょっと未来を見つめて、そして行動に移せるかどうか。また、ボランティアは、その友人が喜んでくれるから、こちらもウレシイわけで、その感動がお金に換算できない収穫です。

人は、「いま」を生きているのですが、未来への「夢」を見ることができます。そして、「夢」がなければ、生きていけない生き物でもあります。現代人が夢を見るためには、まず「効率」が正義であるという考え方から、疑ってみる必要があるでしょう。
そうして、もっと、人間として生きる「夢」を見ましょうよ。そんなことを、日曜の事務所で仕事の合間に思いました。


インターネットとは何ものか?

つい最近、30代の人と話していて、インターネットの魅力について「何が起きるかわからないから、おもしろい」みたいなことを言っていた。これ、いちばんシンプルな驚きを核にしていて、僕にとって、それは失われた感覚であり、ちょっと懐かしく思えた。僕は、インターネット真っ直中の世代ではなく、時代の流れとともにネットを見てきて、やや冷静に俯瞰気味にとらえている世代だ。
パソコン通信、草の根BBS、ニフティサーブを経て、インターネット黎明期をリアルに体験してきて、これまでに、いろいろな現象が起きてきた。その都度、熱狂したときもあり、燃え尽き症候群というのを発病(?)したことも告白しておこう。けれど、ネットは本質的な部分ではあまり変わっていないように思う。僕が、パソコン通信と初めて出会ったときの直感。それは、ネットワークとは、個人の意識を無限に拡大する装置である、というもの。
パソコンがスタンドアロンからネットワーク端末となり、地域BBSから世界規模のWWWが構築されるようになり、それを解説するために、世界各国のプロバイダを結ぶ世界地図というものが、一時期、パソコン雑誌に毎月のように掲載された。網の目のように、張り巡らされたネットワーク図は、僕には、人間の大脳を描いたイラストとダブって見えた。大脳皮質と地球、シナプスとネットワーク。それ自体は装置だから、善悪の彼岸に位置するものだ。プラスの方向に働けば、世界平和はわりと早く実現するのではないか。しかし、マイナスの方向に働けば、世界の破滅も思いのほか早く訪れるのではないか。
むかしC.G.ユングという心理学者がいて、僕は大学時代にこの人の集合的無意識という概念に衝撃を受け、はまってしまった。さらにライアル・ワトソンという人が「生命潮流」という本の中で書いた百匹目の猿現象に共感を覚えた。これは後に嘘であることが暴露されるのだが、当時は、ユングのシンクロニシティとの関連から、混沌としたこの人間世界を紐解くひとつの鍵が発見されたと興奮したものだ。ネットワークは、集合的無意識を顕在化させ、人類の意識を次のレベルに進ませる役割があるのではないか。
そう、ネットワークとは、人間の脳であり、その拡張装置である。この暗喩が、いまも気に入ってる。
しかし、現代社会では、怖いことに主導権が「人」から離れてしまう場合がある。ネットワークの混沌が、今度は個人にも混沌たる意識としてフィードバックされてしまうことがある。いじめ闇サイト、秋葉原事件…ネットワークが社会としての存在感を増大させ、人間に逆襲を加えてくる。
ネットでは、何が起きるかわからない。それを「おもしろい」と思える感性は大切だが、それよりも「おもしろさ」の中から、「たいせつさ」をどうやって探すかというあたりが、50代以降の人たちのこれからの大切な仕事になりそうな予感がある。あいまいな言い方だけど、そんなことを思う梅雨どきではある。

パソコンはどこまで進化すれば気がすむんだ

最近、どうしても重い画像や動画を処理する仕事が立て続けに発生。通常の企画案件はノートPC2台がメインなので、まったく問題はないのだが、このような作業の時は、デスクトップPCで処理してきたのだ。しかし今まで使用してきたデスクトップPCは新しい動画処理案件にはパワー不足であり、メモリも不足しており、業務に支障を来すため、ついにPCを買い換えることに。
当初は、中古PCでいいやと思い、いろいろ探ってみたが、けっこうCPUX2と限定すると高いということがわかった。それなら、ということでDELLとかHPの新品を調べると、お値打ち品でも5万円以上はする。確かにCPUX4といろいろハイスペックで安いと思うけれど…そこで身近なところで長野市内のパソコン工房に立ち寄ってみたら、ミニタワーのPC39,800円也、在庫処分品。最新のCPUX4ではなくX2で十分、メモリを2ギガ積んで、DVDの読み書きができて、Windows XPが入っていて、HD320ギガバイト。このスペックなら、動かないソフトもなく、かえって安心だ。それでもさらに一日、熟考した結果、購入した。
Athlon X2 Dual-Core 5050e SocketAM2 BOX
ひさしぶりに画像ソフトがさくさくと動く。動画の処理も、フリーズすることなく、動く。DVDの焼き込みも速い。パソコンって、次から次へと新しく高性能になり、それにともなって、ソフトウェアも肥大化して、古いマシンを使いにくくするように進化している。これはパソコン業界全体の陰謀である。それに乗せられるのは、悔しいけれど、やむを得ないのだ。仕事だから、ね。ばっちりこのPCに働かせて、元をとるぞ!