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「Amebaなう」はTwiiterに勝てるか

サイバーエージェントは、人気ブログサービスAmebaブログ「アメブロ」に芸能人コンテンツが多数あることから、その強みを生かして、Twitterのようなミニブログサービスを始めるようだ。

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アメリカ生まれのTwitterは、オバマが大統領選のときに使ったり、セレブな芸能人がたくさん使っていて、その利用者がどんどん拡大してきた。リアルタイムなつぶやきは、まったく関係のない人よりも、興味のある人のほうがおもしろい。芸能人をフォローする人は、ゴシップ好きで下世話な覗き見趣味を満たす要素もあるのだろう。ちなみにバラクオバマのフォロワー数は、2,535,968 人。
で、日本のブログは、一日に何十回、何百回も更新する人がいたりして、すでに一部のブロガーにとっては「つぶやき」のツールとなっていた。Amebaブログから、そのタイトルだけをTwitterに流すことは技術的には簡単だと思う。この僕のブログも、WordPressのプラグインによって、それを実現しているしね。でも、サイバーエージェントは、そういう道を選ばずに、独自のTwitterサービスを始めることにした。コンテンツ的には、豊富な芸能人ブログを流せば、それだけで、かなりの人数が参加することになるだろう。それとまだサービスの全容はわからないけど、写真を簡単に掲載する機能や携帯全キャリアへのアプリ提供とか、日本製ならではの機能をたくさん装備してくれることを期待。Twitterの場合、わけのわからない英語圏の方にフォローされることがあるけど、こちらなら、そういう心配もない。この手のコミュニケーションサービスは、「はてなブックマーク」を例に挙げるまでもなく、ものまねであっても、結局、日本製のものが強いよね。
であるからして、独断と偏見に満ちた結論。Twitterは一部の先進的なユーザのものとなり、日本のマーケットにおいてはAmebaなうが圧倒的に勝つことになるだろう。「アメブロ」と同様に「アメナウ」と略称を使うのだろうか。しかし、近い将来、Twitterに勝ったそのとき「アメブロ」が残っているかどうか。ほんとうの敵は内部にあり。サイバーエージェント内にそのとき「雨なう」。収益モデルも早めに確立しなければなりません。検索結果のグーグル提供だけでいいのかしら、と他人ごとながら心配。まぁ、この先どうなるか。いろいろ動き出したTwitter関連の話題は、ここしばらくの間、目が離せません。

ゆるゆるTwitter的集合知

Twitterの話題が、最近、テレビでよく取り上げられるようになった。ということは、かなり社会的な認知が進んだということだね。マスコミで取り上げられて、さらに興味を持って、参加する人が増えて、といういい循環。 僕自身は、このブログのタイトルが自動的にTwitterに送られるようになっており、ブログへの誘導のひとつの道筋という感じでTwitterしている。たまに何人かの気になる人がいて、たとえばTwitterで座談会なんかの実況中継をしているtsuda氏の試みは、なかなかおもしろい。そのほかにも、Twitter的な可能性はいろいろあるのだろうけれど、このツールの本領を発揮したような出来事を見つけたので、ちょっと紹介しますね。

ある人が、あるブログを読んで、新しいツールの存在を知り、でも、それだけじゃ使いにくいので、あるアイデアをTwitterでつぶやいたら、ある人がすぐにアイデアを具現化するプログラムを開発してブログにアップした、という一連の流れ。 glad*designというブログの以下の記事を読んでください。

【TOOL】ネット上にあるあらゆるPDF/PPTファイルをGoogle Document Viewerで閲覧できるようにするブックマークレット『PDF2GDOCS』

ポイントは、いいアイデアがあれば、その小さなつぶやきは、善意のネットワークで、なんらかの成果物になるということ。このような流れは、パソコン通信時代のフリーソフト開発現場からあったことで、LINUXのコミュニティやWordPressもそうだろうし、ネットワークというものの本質的な部分だと思う。それが、現代では、ブログとTwitterの連携によって、もっと、もやもやした感じでつながっているんだなぁ。「さぁ、開発するぞ、意見をください」ではなくって、なんとなく、こんなのがあれば、いいのにな、というところから始まるストーリーですね。でも、意外とこの分野は裾野が大きくって、予期できないだけに、大化けする可能性もあるかもね。


小さなマス・メディアについて考えた

広告業界に身を置く者として、新聞やテレビ、雑誌など歴史あるメディアの近未来は、当然ながら、大きな関心事である。このブログにも、過去に何本かメディアに関する記事を書いてきた。しかし、時代の流れはかなり加速してきているようだ。

いわゆるマス・メディアとそれを支える広告収入モデルが崩壊しつつあり、その原因をつくってきたのがネット・メディアであることはもはや周知のところ。アメリカの新聞社が倒産している現状に対しても、危機感を募らせている日本の新聞社は多いことだろう。インターネットという環境を我々が手にしてしまった以上、この現実に対して、どのように立ち向かうか、旧来メディアにとっては死活問題だ。

広告現場からインターネットの黎明期に関わってきた自分には、ある予感があった。それは「小さなマス・メディア」という矛盾のある言葉に集約される。まず組織でなければ持てなかった情報発信のシステムを個人が持てるようになる。ネット上に有象無象の情報が氾濫するようになり、その中から、価値のある情報を探し出すために、検索エンジンを利用するようになる。ただ、検索ロボットは、日々進化しているものの、情報のクオリティまで保証するものではない。これからはクオリティをジャッジする時代になるだろう。すでにいくつかの試みがなされてはいるが、必要な情報を必要なレベルで探せるようにはなっていない。

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インターネットとは何ものか?

つい最近、30代の人と話していて、インターネットの魅力について「何が起きるかわからないから、おもしろい」みたいなことを言っていた。これ、いちばんシンプルな驚きを核にしていて、僕にとって、それは失われた感覚であり、ちょっと懐かしく思えた。僕は、インターネット真っ直中の世代ではなく、時代の流れとともにネットを見てきて、やや冷静に俯瞰気味にとらえている世代だ。
パソコン通信、草の根BBS、ニフティサーブを経て、インターネット黎明期をリアルに体験してきて、これまでに、いろいろな現象が起きてきた。その都度、熱狂したときもあり、燃え尽き症候群というのを発病(?)したことも告白しておこう。けれど、ネットは本質的な部分ではあまり変わっていないように思う。僕が、パソコン通信と初めて出会ったときの直感。それは、ネットワークとは、個人の意識を無限に拡大する装置である、というもの。
パソコンがスタンドアロンからネットワーク端末となり、地域BBSから世界規模のWWWが構築されるようになり、それを解説するために、世界各国のプロバイダを結ぶ世界地図というものが、一時期、パソコン雑誌に毎月のように掲載された。網の目のように、張り巡らされたネットワーク図は、僕には、人間の大脳を描いたイラストとダブって見えた。大脳皮質と地球、シナプスとネットワーク。それ自体は装置だから、善悪の彼岸に位置するものだ。プラスの方向に働けば、世界平和はわりと早く実現するのではないか。しかし、マイナスの方向に働けば、世界の破滅も思いのほか早く訪れるのではないか。
むかしC.G.ユングという心理学者がいて、僕は大学時代にこの人の集合的無意識という概念に衝撃を受け、はまってしまった。さらにライアル・ワトソンという人が「生命潮流」という本の中で書いた百匹目の猿現象に共感を覚えた。これは後に嘘であることが暴露されるのだが、当時は、ユングのシンクロニシティとの関連から、混沌としたこの人間世界を紐解くひとつの鍵が発見されたと興奮したものだ。ネットワークは、集合的無意識を顕在化させ、人類の意識を次のレベルに進ませる役割があるのではないか。
そう、ネットワークとは、人間の脳であり、その拡張装置である。この暗喩が、いまも気に入ってる。
しかし、現代社会では、怖いことに主導権が「人」から離れてしまう場合がある。ネットワークの混沌が、今度は個人にも混沌たる意識としてフィードバックされてしまうことがある。いじめ闇サイト、秋葉原事件…ネットワークが社会としての存在感を増大させ、人間に逆襲を加えてくる。
ネットでは、何が起きるかわからない。それを「おもしろい」と思える感性は大切だが、それよりも「おもしろさ」の中から、「たいせつさ」をどうやって探すかというあたりが、50代以降の人たちのこれからの大切な仕事になりそうな予感がある。あいまいな言い方だけど、そんなことを思う梅雨どきではある。

日本語入力ソフトを変えてみようかな

FEP、フロントエンドプロセッサと呼ばれるソフトをご存知だろうか。日本語を入力するときに、たとえば、windowsであれば、OSをインストールすると、いっしょにMS-IMEという日本語入力のソフトがインストールされる。ローマ字入力で打ち込んでスペースキーを押すと漢字に変換してくれて、日本語がすらすらと入力できるわけだ。

僕は、OSがMS-Dosの頃、WXシリーズのFEPを愛用していた。それに編集ソフトとしてVZエディタの組み合わせが日本語入力の最強コンビであった。当時、ワープロにはそれぞれのFEPがついていて、たとえば、松には松茸というFEP、一太郎にはATOKだ。ATOKの日本語変換の精度は高く、MS-DosからWindowsに変わってもATOKファンは根強かった。MACにも移植され、OSの次にインストールする基本ソフトとしてATOKは人気があった。

WXシリーズは、Windowsへの移行でちょっと出遅れた。Windows対応版も初期の頃試してみたが、変換速度が遅く、諦めざるをえなかった。MS-IMEというFEPは、OSといっしょに入っていて、わざわざ別に購入する必要もないということで、やがて主流になってしまったのだ。僕も、そこそこの性能を持つこのFEPで、それほど不便も感じず、大丈夫と思っていた。

ところが、昨年あたりから、MS-IMEの一大論争が巻き起こっている。ことの発端は、もとマイクロソフトジャパンの代表古川氏のブログ。2008年2月14日の記事。

MS IMEさらに…お馬鹿になっていく

これは、すごい。中国に開発の主体が移ってしまえば、中国語はめちゃくちゃ変換精度が上がるのだろうな。その分、日本語は置き去りにされていく…。FEPをあらためて検討しようと思ったきっかけは、Twitterで会議の生中継をする津田氏の発言。

「確かなtwitter中継を支える技術。それが信頼の日本語変換ブランドATOKなのです」ぐらいのCMが成立するのではないだろうか。http://bit.ly/Ky5Np

ATOKの評判は良い。ただ、自分は、連文節変換というのを昔から、あまりやっていないのだ。連文節変換のMS-IMEでも、単文節変換といって良いくらいに、頻繁に単語ごとにスペースキーを押している。そんなこともあり、いいじゃん、そんなに賢い変換をしなくてもと思ってきた。連文節変換で、勝手な漢字に変換されるのを見るのは嫌なのだ。ATOKがいくら優秀でも、そんなソフトに漢字を教えてもらいたくはないよ、っていう変なプライドがあった。それでも、そんなに、MS-IMEが単文節変換でも、ひどくなるなら、とFEPの変更を検討している。いま、注目しているのがSSKIMEというUNIX畑のFEPである。この導入記はいずれまた…。