カテゴリー : 音楽の話

「サザンオールスターズ、来年から活動休止」に思う

桑田佳祐は、僕より1学年上。同じ2月生まれ。勝手にシンドバッドでデビューしたときの衝撃は、いまでも忘れられない。つねに第一線で活動してきて、同世代のトップランナーとして、僕はいつもどこかで彼を意識してきた。桑田佳祐は、自分の地位に甘んじることがない。あれだけヒット曲をつくっているのだから、もう大御所であって、ふんぞり返っていればいいものを、挑戦者であり続けている。けっして奢らない、高ぶらない。新しい可能性を探っている。作品づくりに妥協しないその姿勢が僕は好きだ。僕もそうありたいと思っている。もっと言えば、彼が頑張っているんだから、僕に出来ないはずがないという思いがある。桑田は手のとどかないスターではあるけれど、僕にとってはほかのアーティストとは違う特別な存在なのだ。

昨日、そのサザンが来年から無期限の活動休止に入るという発表をした。都心では号外も出たようだが、僕はテレビのニュースで知った。

「この年齢になって、もう一回ミュージシャンとして、エンターテインメントにかかわる人間として何ができるか。サザンの活動だけをあてにしないで視野を 広げていこうよって話をしました。現状に甘えずに自分自身で何かをつくって、さらにステップアップして戻ってこられたら素敵だなと思う」

デビュー30周年を節目にした決断だ。これはこれで、とっても桑田らしい決断だ。そういえば、僕も、再来年くらいにコピーライターデビュー30周年(笑)なんだなと思ったりした。節目に何をやるかっていうのは、とってもとっても重要だとまたまた自分を振り返って考えるのであった。

フラメンコギターに魅せられて

 マニタス・デ・プラタをご存知か。われながら、そんなマニアックな名前を忘れずによく覚えていた。中学生の頃、LPレコードで聞いたその音楽は、民謡のような唄も入り、とっても土着的な匂いがした。ギターの素晴らしさはわかるのだが、真似しようという気がまったく起きなかった。これは近づくことのできない別世界と諦めた。

 それでもフラメンコの世界には、なぜか引き寄せられた。当時、数少ないフラメンコの譜面を買ってきて、小指から連続的に弦をかき鳴らすラスゲアードとか、薬指でギターを叩いて、音を出すゴルペとか、まったくの独学でフラメンコの真似事をしてみた。

 民族音楽を楽譜でやろうという試みが無謀。ほんとうは、きちんとした先生にじかに習うのが筋である。師から弟子へと伝承される音楽。特に、リズムなんか、西洋音楽とは異なり、どこでアクセントがあるのか、ちんぷんかんぷん。そもそも、いわゆるフラメンコギターという楽器さえ、僕は持っていない。クラシックギターで代用している。で、あるからして、フラメンコギターは、いつか習いたいと思っている僕のささやかな趣味のひとつだ。

 最近、YouTubeで、Flamenco関連の映像をよく観るようになった。すると、いままで、どのようにして弦を鳴らしているのかわからなかったテクニックが一目瞭然。映像の強みですね。ますます、フラメンコを習いたいと思うようになるのでありました。

↓手のとどかない領域の方、マニタス・デ・プラタさん

↓フラメンコとジャズとの融合をはかったパコデルシアさん

↓フラメンコをポップスの世界に昇華させたジプシーキングスさん

エレファントカシマシって、イッテるなぁ

「僕らの音楽」っていうテレビ番組を偶然見た

そしたらエレファントカシマシの宮本っていう兄ちゃんと
芥川賞作家の川上っていう姉ちゃんが
ふしぎな雰囲気で会話をしていた

宮本くんのオーバーアクションと
ときおり目の焦点があわなくなる
そのアンバランスがチャーミングだ
川上さんは大阪弁でようしゃべる
最近の芥川賞は関西圏の湿度が
やっぱつよいんやな~って感じた

歌が始まった
よくラジオから流れてきた歌
「今宵の月のように」
いい歌だなとは思っていたが
映像で歌っている姿を見るのは初めて
むちゃくちゃ心が裸になってる
顔がぐしゃぐしゃ目がとびでそう
そのわれをかなぐりすてた
ライブパフォーマンスに
なんかぐいぐい引き込まれてしまった

すげぇ!

そのあとふたりの会話がつづくけど
それもまた、なんかヘンな感じだけど
みょうにわかる気がして
これは病みつきになりそうな感覚

ヘンなんだけど
一生懸命生きようとしてる
その危うさと切なさが
ごちゃまぜになってる感が
たまらない魅力だ

荒井由美の歌を歌ったりして
これもすごい熱唱というか
熱い呪文を聞いているようで
なかなか素晴らしいのだ

最後は新曲
「桜の花、舞い上がる道を」
この季節にサクラソングはもう食傷気味
無理に時流に合わせて歌わなくてもいいのに
まぁ独自の世界があるから、いっか

エレファントカシマシの宮本っていう兄ちゃんは
たいしたものだとまたまた遅ればせながら思ったぞ
これはライブで観ないとそのすごさがわからんかもな
ひたむきに狂気の寸止めで明るい未来を謳いあげる
常人にできる技ではありませぬ

で、ここまでは行かずとも
この近くまでは、人間、行く必要があると思った
なんか、気持ち良さそうなんだよね
ここまで、イッテしまえば、心が解放されそうだ
窮屈になって閉じこもって縮こまってすくんでいる
そんな現代人の心を解き放つ歌声がここにあるんだ

僕は正直うらやましく感じて
なんか扉がひらいていく音を聴きましたよ


ハナレグミを好きになった理由

ハナレグミっていうアーティスト、知ってる?
組っていうくらいだから、バンドなのかと思った。
そうしたらさ、ひとり組なんだね。
けっこう若者の間で、人気らしいんだ。
いまはこういう時代だから、
知らないアーティストの名前をググッてみれば、
すぐにいろんな情報がわかるんだな。
で、調べてみたら、公式サイトのすぐあとに
YouTubeの動画がアップされていた。
それで、コンサートの様子やらなんやらがわかり、
あ、たしかに目が離れてるということもわかり。
いくつかの曲を聴いたんだけど、
なんか、テンポがゆっくり気味で
ゆるゆるっていうほうが似合うかな。
おじさんとしては懐かしい感じがしたんだ。
むかしのフォークソングっていうか、高田渡とか、
その時代までタイムスリップした気分。
歌詞は、なんてことないんだけど、
ふうと疲れた心にしみいるようなフレーズでね。
なんてことはないことを歌にしようとしているんだけど、
そんな、なんてことはないことが
今の時代はもう無くなっているのかも。
「家族の風景」という歌があって、
これはどっかで僕も聞いたことがある歌で。
「キッチンにはハイライトとウィスキーグラス」
それが「どこにでもある家族の風景」だと
歌っていて、これは僕は共感できるけど
それは今から40年前、僕が小学生のころだ。
でも、待てよ。それにしても、ちょっと違和感があるぞ。
その当時は、「キッチン」なんて言葉は誰も使わない。
「お勝手」とか、せめて「台所」だろう…やられた!
ハナレグミは、時代をごちゃまぜにした
どこにもない風景を言葉によって創っているんだ。

そして何よりもハナレグミは、声が良い。
悲しみの中に希望を宿したようなその歌声。
ゆるゆるなんだけど、しっかりとした張りのあるユルユル。
デッサン力のある画家が描いた抽象画のように
声に芯があって、流れたり戸惑ったりしない。

僕は一曲で好きになってしまったな。

著作権的には問題があるんだろうけど、
僕はこのYouTubeを聞いて、好きになった。
もし、ほかの誰かが、これを見て、
ハナレグミを好きになってくれたら、
そしてアルバムを買ってくれたら、
そういう意味ではファンたちがアップロードする
こうゆう動画は口コミプロモーションとして
機能しているんだけれどね~。

矢沢永吉を好きな人たちが好きだ

矢沢永吉ファンが武道館に足を運ぶ。
白いスーツ、黒いシャツ、
長いビーチタオルを巻きつけて
武道館までの道を闊歩する。
ひとりではない。
仲間といっしょに歩く。
似たような集団が現われる。
みんな顔馴染みなのだろう。
サングラスで目は見えないが
にこやかに握手を交わす。
みんな40代くらいの中年だ。

なんて楽しそうなんだろう!
きっと心がピュアなんだろうな。

僕の世代は、一世を風靡した
暴走族の終末に立ち会っている。
高校生のとき、
暴走族の取締りが厳しさを増し、
バイクの免許取得に限定がつき、
大きな族が次々に解散に追い込まれた。

キャロルというロックバンドも、
僕が高校3年生の頃、解散コンサートをやった。
だが、リーゼントに皮ジャンという
暴走族ルックスは僕にはピンと来なかった。
僕は長髪でGパンをはいて、
学校をサボってはジャズ喫茶に通い、
ニューシネマとギターと読書に没頭していた。
どちらかといえば、ネクラ系。
矢沢永吉には、まったく興味がなかった。

それから矢沢永吉がソロ活動をはじめ、
スター街道をまっしぐらに突き進み、
武道館を満杯にしているのは知っていた。
熱狂的なファンが多く、会場では喧嘩が勃発。
社会問題化した時期もあったように記憶している。
しかし、それだけなら、
ローリングストーンズのような
ミックジャガーのような
ヤンチャなロックスターで終わったはずだ。

矢沢永吉はある時期から
ロック歌手という存在を超えてしまった。

そのきっかけは「成り上がり」という自伝本だろう。
糸井重里がゴーストライターとして書いた
この本はベストセラーとなった。
矢沢永吉は「成り上がり」によって、
ロックスターでありながら、
成功哲学の伝道者となったのだ。

矢沢永吉は、自分のことを「矢沢」と呼ぶ。
「サイコーだね」と自分で自分を盛り上げる。
矢沢は矢沢というキャラクターを見事に演じきる。
何よりも、成功のイメージを強烈に持っている。
キャデラックに乗ってタバコを買いに行きたい。
具体的なイメージを描き、それに向かって突っ走る。
夢はかなうんだ、という生き証人。
長島茂雄という野球の天才に通じる
天然の、ほぼ完璧なキャラクター、YAZAWA。
インタビューに答える矢沢はカッコいい。
無理していない自然体のように演じている。
どのシーンを切っても、YAZAWAが現われる。

僕はこの歳になって、
ようやく矢沢の魅力がわかりはじめた。
矢沢が矢沢であり続けるのはスゴイことだ。
その姿を真似したくなるのもまたステキなことだ。
このように音楽家が音楽という表現を超えて
生き方のメッセージを伝える媒体になるのは稀有なこと。
そういう意味で、いちばん近いのは、ジョンレノン。
YAZAWAとLENNON…メッセージの内容は遠いけれど、
表現者としての、ある境地を極めていると思うのだ。