カテゴリー : 雑記帖

風邪をひいてしまったよ

小学生の頃までは、けっこう頻繁に熱を出して、学校を欠席しました。いつも、微熱少年(笑)。それで、当時の流行であった扁桃腺手術をやって、僕にはいま、熱を出す厄介者と言われた扁桃腺がありません。社会人になり、子供が出来てからは、少し風邪気味だとすぐ病院に行って治す習慣を身につけ、丸一日を欠勤することはおそらく指折り数える程度です。身体が風邪から復活するのが早く、このような丈夫な身体に生んでくれた親に感謝ですね。

先週の半ば頃から、どうも体調が思わしくなく、あっという間に、風邪の諸症状が現れて、近くの病院に駆け込みました。点滴注射を打って、仕事を早めに切り上げ、さらに翌日も休んだのですが、80%回復ぐらいのところで止まったまま、全快とまではいきません。胸のあたりに何かがつかえているようで、ふとした弾みで、咳き込んでしまいます。こんなに長引くのは、ほんと珍しい。それでも、やるべき仕事はあるから、脳細胞にムチを打って、企画書を書き上げ、少しボーッとしています。

小学生の頃、高熱にうなされると必ず同じ怖い夢を見ましたが、扁桃腺といっしょにその夢も消えました。悪夢を見るのは、心のバランスをとるためのサイン。風邪をひくのは、休養しなさいというサイン。人間の身体や心って、バランスをとるために、いろいろなサインを出しているのだと思います。そのサインに早く気づき、次のアクションへ向かうこと。きっと、そういうことだと思います。サインを読み違えたら、アウトになってしまうからね。だいじょうぶか、じぶん。

春のスイッチ切替え

3月は年度末ということで、仕事もいろいろ忙しかったのですが、地域の役が終了ということで、ともあれ、ほんとうに、ホッとしております。ここ数年、地域のことに関わることが何かと多くなり、その巡り合わせが重なって、この一年間、区長という役を仰せつかりました。昨日、引継会を行い、あと3日の任期を残しておりますが、天災など突然のアクシデントがなければ、そのまま、お役目解放ということになります。まだいくつかの取りこぼし案件が次年度にかかっているものの、それは実務として処理していけばいいだけですから、気が楽です。いやぁ、「気が楽」という言葉の重さを実感いたします。「肩の荷が下りた」という言葉も、初めて肌身の感覚として理解できました。任期中、地域が無事安泰でありますようにという強い思いが、つねに心の片隅にありましたからね。

それでも振り返れば、いい体験ができたなと思います。生まれ故郷の東京を離れ、信州暮らしを始めてから、もう20年。地域の課題もそれなりに理解してきたつもりでしたが、この一年間、一歩踏み込んだカタチで、まさしくど真ん中で体験でき、地域社会への理解を深めることができました。若くしてこの役を受けたことは、正解だったように感じています。地域との関わりは切れませんが、役のスイッチはあと3日でオフ。このレバーを、さて、次は、どこへ、入れましょうか。今年の春は、いつもよりいちだんと待ち遠しく、楽しみな春です。

深夜のラジオ放送で育った世代

ラジオ放送がそのままネット経由PCで聴ける!radiko.jp の実験サービスがつい最近始まったばかり。いろんなブログでも取り上げられていて、これは、おもしろい!って、すぐにアクセスしたけれど、ここ長野は対象エリアから外れていて、ごめんなさい、なのだ。

僕が中学生の頃、深夜のラジオ番組が黄金時代を迎えていた。東京にいたから、キー局のラジオをすべて聴くことができた。だいたい深夜12時から3時過ぎ頃まで、聴いていて、当時の中学生の平均睡眠時間はおそらく4時間前後だったろう。海外のロックやポップス、ビートルズ、サイモン&ガーファンクル、キングクリムゾン、ディープパープル、キャロルキングとか、まぁ、いわゆる洋楽も黄金時代だったような気がする。

深夜ラジオといえば、パーソナリティという言葉が使われ出して、どの局にも人気者がいた。僕がいちばん好きだったのは、林美雄、通称ミドリブタ。ネットで調べてみると、TBS系のパックインミュージック第二部深夜3時から5時にハヤシが登場したのは1970年。それから4年間、ここで僕は、マイナー路線の日本映画や荒井由実、石川セリ、山崎ハコというマイナーな歌手たちを知ったのだ。ちょうど僕の多感な中学生時代に重なる。土方巽という暗黒舞踏のおっさんも登場したようなしないような。まぁ、いわゆる、メジャーな人たちではなく、でも、きらりと主張を持っている人たちを、ハヤシはたくさん紹介してくれた。当時の僕は、膝の故障でスポーツをあきらめ、悶々として、読書やギターに逃避しており、明るい太陽の舞台ではなく、陰のほうにも素晴らしいものがあるということを知り、マイナーな世界にどんどん、のめりこんでいった。海外の明るいポップスより、黒人の魂、ブルースを感じるモダンジャズ。日本の歌謡曲より、似たような情念を感じるなら津軽三味線やフラメンコ。映画は、アートシアターギルド配給の難解なものを見たり、とか、ちょっとアングラ志向の、ませた中学生だった。

いま思えば深夜ラジオって、けっこう影響力があったよね。聴取者からの投稿手紙を読むコーナーは、どこでも定番。それにどうコメントするかがパーソナリティの個性の見せ所だった。日本中に、こんなことやあんなことを考えている人たちがいて、それを聴いて、泣いたり、怒ったり、笑ったり。なんか、電波を通して、同世代のみんなとつながっているような感覚が、たしかに、あったような気がする。

現代は、どこに同世代や同時代があるのだろうか。ブログか2チャンネルかYouTubeかMixiか、いずれにしろ、きっとネットが中心になってるんだな。過去のラジオが掬ってきたみんなの思いを、いまはネットがその役割の一部を担ってる。

radikoがここ長野で聴くことができないのは、ほんとうに残念。でも、スポンサーやローカル局との関係があって、きっと難しいのでしょう。

でも、個人的には、こう思うのですよ。いっそ、ローカルもキー局も、ラジオもテレビも、すべてネットでオープンにしちゃえばって。そこから、競争が生まれて、そこに価値あるフィールドが生まれるんじゃないか。放送局の良質なコンテンツが、逆に、ネットを呑み込むんじゃないかってね。スポンサーにしてみれば、放送だろうがネットだろうが、より多くの人に届けばいいのであって、顧客本位という原則から見ても、放送にこだわり続ける必要は低いような気がします。いろいろ、やっぱり、それにしても、という難しい課題がたくさんあるんでしょうけど、ね。

春は、まだ先になるなぁ

二日前、僕の自宅のまわりは大雪でした。積雪量は一晩で50センチは超えていました。朝、水気を含んで重たい雪を、プラスチックの赤い雪はねでエッチラオッチラとかきだして、ようやく自動車の運転席まで辿り着けるようになります。ここは雪国ですから、3月になってからも、こんなことはけっこう今までにもありました。そのたびに、嫌だなぁ、もう雪かきはしたくないよ、と思うのであります。暖かい土地の人は、雪かきなんか知らずに一生を終えるんだろうな。それは幸せなことでもあるし、雪のある生活の良さを知らないから不幸なことでもあるし、なんとも、それが人生っていうものだから、それぞれの生き方を生きるしかないわけで…と、まぁ、わかったようなわからないような感慨を持つ季節でもあります。

春といえば、サクラ。春は、サクラを歌った名曲が多いですね。日本では年度末ということもあり、別れと出会いの季節でもあり、そこにいろんな感傷やドラマが生まれてくるのでありましょう。僕にとっても、春はサクラ。親父の葬式のとき、見事に満開だったサクラを思い出します。親父の命日である4月2日は、でも、こちら信州では、まったくサクラの気配がありません。

春の気配は、お日様の陽射しの中に、少し感じるようになっているのですが、まだまだ寒くて、家の暖房もフルに稼働しています。早く、春が来ないかな。信州のサクラは、4月下旬か5月の連休あたり。長く伸びていく陽射しの歩幅に合わせて、心待ちにいたしましょう。

正義の見方というタイトルを思いついたが…

すでに宮崎哲弥氏がそういう題名の本を書いていた。僕はそれを知らず、本自体も読んでいない。ダジャレとしては、まぁまぁのところ。

「正義」とは、いったい何か。僕は思想家や評論家じゃないので、大それた論文を書くつもりはサラサラないけれど、ときおり、このような問いが頭の中に沸き起こる。それは小学生の頃から、僕の小さな前頭葉にムシのようにとりついてきた。

正義のいちばんの問題点は、自分の確信した正義こそが、いちばん正しいと絶対化してしまうところだろう。そして、それを他者にまで波及させようとしてしまうところだろう。小学生時代、ウルトラマンごっこが流行った。君がウルトラマンで僕はバルタン星人だ。えいっ、やっ、とぅ、と子供同士で戦いを繰り広げる。そのとき、なぜか、バルタン星人から見れば、ウルトラマンは悪者ではないかと思ってしまったのだ。無邪気じゃない、変な奴だね、まったく。ガメラは、怪獣でありながら子供の味方であり、ウルトラQでは、けっこう文明批判的なストーリーもあったように記憶している。おそらく、当時のテレビ番組や映画の制作者たちには、常日頃から、「正義」とは何かという問いかけがあって、映像を制作していたのではないか。勝手な憶測だけれど、社会との関わり方について、60年安保、70年安保、浅間山荘、連合赤軍事件とつづく、時代の意識が子供たち向けの番組に反映されていたとしても不思議ではない。ただそれは暗号のように映像内に隠されており、子供たちに発見され、読み取られるのを待っていたとしたら…。

太平洋戦争、学生運動…社会の正義なんて、時代や環境によってころころ変わってしまう。それを前提として、そこから懐疑的な生き方が生まれ、ある人は、変化する方向へ回転しながら、ある人は、社会とのつながりを失いながら、それでも、それぞれの暮らしはあるわけで…。どうも、社会正義の喪失によって、個への執着が強まって、個こそ正義であるというようなところまで行ってるような気がする。ううむ、難しいところだね。結論なんて出そうにない「問い」だけど、考えることに意味がある(笑)。学生のような青い気分で、また、今度、会ったときに話そうか。