カテゴリー : 時事・世相

もっと楽しんだって、いいじゃないか

いま、30歳代中盤くらいの若い経営者の生き方が気になってます。
スタートトゥデイの前澤友作社長とか、ミシマ社の三島邦弘社長とか、
かたやネット通販、かたや出版社と
業界はまったく違うけれど、どちらも1975年生まれ。
企業経営の原点に、楽しさやおもしろさを据えていて、
今までの大人たちが声を大にして言えなかったのに、
きっぱりと「楽しい会社」を宣言しているのが新鮮です。
食うための仕事ではなく、楽しむための仕事。
ライスワークとライフワークとを分けない考え方。
スタートトゥデイの社是は「世界中をかっこよく、世界中に笑顔を」
ミシマ社のキャッチは「原点回帰の出版社、おもしろ、たのしく!」
従来型の企業目標は、会社存続の利益追求が第一で、
社会に対しては雇用を発生させ、きちんと納税で責任を果たしていく…
そういう、まわりくどい方便が多かったように思います。
もちろん、いろんな会社があって、起業の時点では熱い思いがあり、
それぞれ、より具体的な目標も掲げられているんですけど…
彼ら若き経営者たちの前提には「好き」があります。
「好き」なことを仕事にしている。
「好き」だからめいっぱいがんばれる。
「好き」だから社会のことまで考える。
とっても個人的な思いから起業して、
で、その思いが、大げさだけど、誤解を怖れずに言えば
「地域や業界」の発展から「世界平和」にまでつながっている。

僕は、彼らのインタビュー記事等をネットでいくつか読み、
新しい時代の流れを感じるとともに、すごく共感いたしました。

僕らの生きてるデザイン業界は、もともと自由な雰囲気があって、
好きなことを仕事にして、徹夜だってなんのその、という業界です。
でも、ややミクロな視点になりがちで、社会性に疎い部分がありました。
社会に役立つ仕事なのに、いつの間にか、自己表現に偏る場になったり、
業界の未来に対して責任を果たしていなかったり…

仕事に対する原点の意欲や感動を、
ちょっとやそっとの不景気で忘れてはいけません。

俯いちゃいけないよ、楽しいところに人や仕事が集まるんだから。
自戒を込めて、あらためてそう思うのでありました。

伝える力を求める時代

いま、テレビで視聴率を稼げる人といえば、なんといっても池上彰でしょう。
「伝える力」という新書本もすごく売れているようです。
彼は、NHKで「週刊こどもニュース」をずっとやってきて、
そのとき、子供にもわかりやすく伝える技術を学んだそうです。
2010年のベストセラーのなかでは「超訳ニーチェの言葉」や、
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」だって
今まで難しいとされていたことを、やさしく伝えてくれるから、ヒットしたんですね。
どうも今の時代は、みんなが生きる指針を失っていて、
なんらかの原理的なことを学ぼうという機運が高まっているんではないでしょうか。
でも、原理的なことって、とっても分厚くて難解な本だったりするんですよね。
それは、それぞれの分野の研究者が研究を兼ねて翻訳しているから。
日本の大学教授は海外の学者の翻訳さえできれば一流という感じでしょ。
たとえば政治や経済についてのテレビニュース。
新しい出来事にたいして、その道の専門家がコメントしたり解説したりします。
いろいろと深く勉強している専門家ですから、

短い時間内でスパッと切れ味鋭く論評しなければ、
その後のテレビ出演、お呼びがかかりません。
この短時間の尺がくせもので、その論評の前提として膨大な知識があるのに…
彼らにとってはあたりまえの知識が、我々にとってはあたりまえじゃない。
その前提となる知識や原理原則的なことを説明できる時間がないから、
我々のような一般視聴者は、いつの間にか置いてきぼりにされてしまう。
ただ、学者への印象として、さすが、たいしたものだなと感心してしまう。
そう思われたくて煙りに巻くということもあるんでしょうけど…
政治や経済、そして哲学がわかりやすい言葉で立ち現れた2010年。
さて、今年は、どのような分野がでてくるのでしょうか?
僕の予想では、心理学あたりから始まり、コミュニケーションや人間関係学。
そして哲学の分野では現象学あたりが出てくるのではないか。
いずれにしろ、難解な本は、わかった「つもり」にしかなりません。
やさしく伝えることのできる人は、ほんとうに理解している人。
これ、コピーライターのお仕事の肝の部分でもあるんですが…ね。

いまさらアナログには戻れないけど…

ことビジネスに関して言えば、もうパソコンや携帯電話のない世界は考えられません。
自動車、炊飯器、体温計…日常生活のなかにもどっぷりとデジタルが浸透して、
ダメだしのように今年の7月からテレビのアナログ放送が絶滅します。
いつの間にか…
ゼロとイチがくるくると身の回りを巡っている世界に私たちは暮らしています。
これって、ここ30年くらいの急激な変化なんですよね。
生まれてからあたりまえのようにデジタルを体験している世代と
アナログから移行しながらデジタルを体験している世代とでは、
かなり感性レベルでの捉え方が違ってると思います。
僕の世代は、デジタル時代を切り開く最前線にいました。
20代の頃に、ワープロ専用機、ワープロパソコン通信、
Ms-Dos、アップルⅡという流れがあり、
将来デザイン業界ではパソコンによるデザインワークが主流になりそうだ、と。
僕は、数十人レベルの草の根ネットに参加して情報交換をしていました。
仕事仲間のみんながメールを使えるようになればいいのにね。
パソコンの日本語書体がもっと充実しなければダメだ。
ソフトバンクという出版社(!)の孫正義というのは、けっこうやり手らしいよ。
アスキーの西和彦のほうが一歩先を行ってるんじゃないの、とか、
まぁ、いまで言えばオタクっぽい会話が一部で盛り上がっていました。
ちょっと上の世代からは、胡散臭く思われ、やや白い目で見られてきました。
ちょっと下の世代からは、多少は頼もしく、でも中途半端な存在と思われたのでは…
この中途半端というのは、とっても当たっていると思います。
アナログの良さを知っていて、その良さを補完するためのデジタル。
僕らの世代は、基本的にはそのような視点に立っています。
すべての仕事の入口がアナログでしたから、デジタルは単なる道具です。
でもデジタルを入口にしている世代は、どうなんだろう?
自分で絵(ラフスケッチ)を描けないデザイナーなんて、
いまはたくさんいるんだろうな、きっと。
まぁ、いまさらアナログに戻って烏口を使え、なんて言いませんが、
デジタルはあくまでも道具ですから、道具に振り回されないように…、
それだけは、僕らの世代が口を酸っぱくして
言い続けなければいけないような気がしています。


百草丸と正露丸

幼い頃、お腹の調子が悪くなれば決まって正露丸を飲む羽目になった。丸く苦いその粒は白湯とともに一気に飲まなければならない。少しでも口の中にとどまれば、鼻にまでツンとくる強力な臭いがあった。我が家では、正露丸を切らしたことがなかったように思う。いわゆる常備薬だ。十三歳年上の兄貴は、大人になってからも暴飲暴食できる強い胃袋が自慢で、それでも食べ過ぎの翌朝はこっそりと正露丸を飲んでいた。僕は、暴飲暴食はそれほどなかったので、正露丸のお世話になるのは、数年に一回程度だった。

僕の女房は名古屋出身で、お腹の薬と言えば百草丸だという。そこで、我が家の胃腸薬は百草丸になった。子供たちも成人して、服用する回数も極端に減ったが、つい先頃、百草丸のビンが空になっているのに気づき、新たに購入した。ドラッグストアにでかけると、百草丸といってもいくつかのブランドがあることを知った。女房曰く、御岳百草丸が元祖本物であるらしい。迷わずに、濃紺の渋い色味のパッケージを手にした。御岳百草丸は、長野県製薬で製造販売されているようだ。

自宅に帰ってから、何の気無しに、「百草丸」をグーグルで検索してみた。すると、興味深い記事がいくつかヒットした。

陀羅尼助(だらにすけ)・百草丸・リローラ

僕がしばしばアクセスするアルファブロガーの「極東ブログ」で、興味深い記事がヒットした。リローラというアメリカ発のダイエット薬と御岳百草丸の成分が似ているという指摘だ。さらに、このリローラにストレス軽減の作用があるというお話。では、リローラとは何者? うつ病ドリルというWEBサイトがヒットした。この中で以下の記事から少し引用させていただこう。

欲しい人のみ:リローラ -うつ病ドリル

ストレス軽減ハーブ。働きは上記の「ホスファチジルセリン」と同じく「コルチゾール低下」だが、こちらの方はそれほど直接作用しない代わりに幅広い効果があり、気分が明るくなるのを助けてくれる。
もともとは過食予防用で、過剰な食欲を抑えるためのもの。

なお、これはイライラした気分やうんざりしている気分を平常時にまで戻す助けをするだけで、通常以上に元気になれるわけではない。

さらに大学との共同研究によって、百草丸は、ピロリ菌にも効果があるらしい。ただし、これは現在あくまでも試験管上の話、人体に対する臨床実験はこれからとのこと。以下の記事に詳しい。

医療・医学ニュース>植物性胃腸薬の百草丸にピロリ菌の除菌効果

いずれにしろ和漢生薬という分野は、まだまだ科学的な解明がなされていない。未知の効用が隠されているようでたいへんに興味深い。

ついでに、正露丸もググってみた。すると、けっこうな確率で好ましくない記事がヒットした。僕のこのブログでは、マイナスイメージを増長させるような記事は書かないようにしている。幼い頃、正露丸にはお世話になった恩もあるし…。それでも、このような記事を読むと、ううむ、となってしまう。あとは、読んだ人の判断に委ねよう。

正露丸の有効性と安全性研究

インターネットを流れるWEBサイトの情報は、玉石混交である。そうした情報洪水の中から、じぶんにとって有用な情報をいかにして取り出すか。私たち生活者が暮らしていく上で、実にさまざまな有意義な情報が簡単に手に入るようになった反面、デマも飛び交いやすい状況にはなっている。ネット市民の情報スキルを磨くためには、ネット以前の判断力、哲学的な思索スキルが求められているのではないだろうか。

御岳の百草丸とラッパのマークの正露丸から、WEB上の情報を通して、いろいろと考えさせられることが多かった。



「正露丸(セイロガン)の有効性と安全性」

わかりやすい、わかりにくい

一昔前の前衛アートは、考え方が先走っていて、ううむ、とうなってしまうことが多く、またそのことを狙っていたのだと言われても、なんだかな~とい う世界でした。現代アートは、それから、どんどん「わかりやすい表現」へ走ってきているような気がします。頭で理解するのではなく、感覚で理解するという 方向。あ、これって、わかる、わかる。そんな空気を読んでいる表現です。

僕は、広告づくりという商売柄、表現は、わかりやすいものを心がけています。マスメディアの広告コピーを書くときは、小学生が読んでも、七十歳のおじいちゃんが読んでも、わかりやすく書くことが求められます。まぁ、一般論としては、それは正しいと思います。伝える対象が細分化され、それぞれに言語文化が異なってきたりすると、ここの人たちに伝わる表現、ということで、いずれにしろ、相手に伝わりやすい表現をめざしています。広告の前提には「わかりにくい」があって、それをどのように「わかりやすく」伝えていこうか。そこに情熱と知恵を傾けているわけです。ここでは、あたりまえだけど、「わかりにくい」存在は、善でも悪でもありません。

コミュニケーションというのは、誰かに何かを伝え合うということ。おたがい、わかりやすく伝えるための努力が、その距離を縮めてゆきます。あいつは、何を考えているかわからない。そういう、わかりにくい相手に対しては、いろいろな石を投げて、その反応から気持ちを探ってゆきます。つまり、「わかりやすい」と「わかりにくい」には、区別はあっても、本来、差別はありません。わかりやすい=正義ではない。わかりにくいことは、まだ理解されていないだけであって、でも、むしろ、その部分に真実が隠されていることだってあるかも知れません。

最近、ちょっと感じるのは、時代がシンプルな「わかりやすさ」を追い求め、それが正しいことにつながっていくような傾向です。これは歓迎できないなぁ。こどものいじめも、なんだか、「わかりにくい」を排除しようとする大人社会の反映のように思えます。

この文章そのものが奥歯にものがはさまった「わかりにくい」感じになってしまいました。ま、そういうこともあるということで、人生は広告じゃないんだから、ということで…。