カテゴリー : 時事・世相

小沢一郎総理を見たかった

昨日から、大騒ぎ
小沢一郎の辞意表明
これは、どうしたことか?
本気で二大政党時代が来ると思って、
期待していた人にとっては、まさしく裏切り
安倍総理が辞任したときより、
こっちのほうがショッキング
なんか、みんなが言うこと聞かないから
ぼく辞めちゃうもんね、っていう感じ
大の大人がみんな幼稚っぽくねぇ
あらためて経歴をチェックすると、
慶應義塾大学経済学部卒って
僕の偏見だけど、ちょっと似合わない(笑)

小沢一郎という政治家は、
いかにも強情という感じの強面で、
芯をしっかり持っていそうで、
ふところが大きそうで、
あの田中角栄を彷彿とさせて、
いまどきの政治家としては
マスコミ受けがしないけど
それがかえって新鮮だったりした

不器用な人間が
それだけの理由で
信頼されたりするから…

49歳で自民党の幹事長になって
そのまま自民党にいれば、
総理大臣になれたと思うのに
飛び出していくつも政党をつくってきた
どれも短命の政党だった
やっぱり「飽き性」なのか?

でも、この民主党を最後に
初志貫徹で一度は
総理大臣になって欲しかったなぁ~

くえない奴、中国を笑えるかな?

中国の農場を取材したテレビ番組を見た。
ぶどうに農薬がたっぷり噴霧され、
その白い液体がどろどろに滴り落ちている。
農園から出る水がピンク色に染まっている。
ある農薬販売店をレポーターが取材して、
禁止された農薬を売っているかと問うと、
そこの店員が開き直ってこう答えた。
「農薬を使っていない野菜なんてないよ。
 みんな金儲けのことばかり考えているからね」
したたかに生きてるなぁ、中国大陸の人々。
使用が許可されている農薬は、効き目が薄く、値段が高い。
禁止されている農薬は、効き目が高く、値段が安い。
効率だけを追求すれば、そりゃ、後者でしょう。
ただ、ここに人体に及ぼす悪影響という
ファクターを加えて考えると、
もちろん解答は正反対になる。
こんな農薬漬けの果物や野菜でも、
買う人がいっぱいいるから、
「儲かる」という理由で育てる。
買う人がいる。ここがポイントだ。
そんな食品を買うのは、誰だ?

日本は、ようやく、無農薬とか有機野菜とか、
そういうオーガニックな方向への関心が高まってきた。
でも、まだそれがスタンダードにはなっていない。
スーパーに行けば、安売りのものから売れていき、
オーガニックな商品は高額なため売れ残っている。
オーガニックは、お金持ちが買う商品なのだ。
かたや中国の富裕層は、
農薬の管理が行き届いた日本の食品を買っているらしい。

戦後の日本は、工場排水による公害訴訟や
食品添加物などの問題を引き起こしながら、
未曾有の高度成長を遂げてきた。
もっと良い暮らしがしたい、と、
がむしゃらに働いてきた日本人の姿と
現在の中国の姿がだぶって見える。

僕たちが、中国って、ちょっと野蛮だな、
と感じるとしたら、それは、
西洋人が、戦後の日本人を
エコノミックアニマルと呼んだときの感覚に近いだろう。

北京オリンピックが来年開催される。
高度成長の真っ只中、1964年に開催された
東京オリンピックのイメージとこれも重なってくる。
43年前の日本、そのとき築き上げたもの、
それから進化していったもの、忘れ去ったもの。
生活は、一見、豊かになったように見えるけど…

きっと、まだ日本は貧しいんだろう。
いろいろな意味で、きっと、貧しいんだと思う。

中国の農業は誉められたものじゃないけれど、
それをどのようにしていくか、アジアの課題として、
食糧問題を考えていく政治家が登場してほしいな。
なんてことを、つらつら思ったりした。

柔道は好きだけど、JUDOは嫌いだ

 世界柔道2007は、柔道がJUDOになってしまったんだな、と見せつけられた大会だった。特に100kg級の鈴木クンの試合は、わかりやすかった。相手の体勢を崩して、技をかけるのが柔道の醍醐味だ。鈴木クンは技をかけて、それで相手が倒れて、背中をつけて、一本勝ち!のように見えたが、くるりと相手は起き上がって、鈴木クンを逆に押さえつけて、背中をつけた。審判の手は、相手の方に上がった。

 国際ルールでは、最後に背中をつけたほうが負けになるということだ。そう言われてしまえば、確かに、鈴木クンの負け。

 これが真剣勝負だったら、と想像してみる。相手を切ったのに、その相手がゾンビのように起き上がって、自分に向かって切りつけて来た。そんなんで、いいんか?
 スパッと切られたんだから、負けを認めて、ジタバタするな、というのが日本人の心性だと思う。技をかけて、倒して勝つ。その美意識が、その武士道が、国際試合では勝利の障害になってるのかも知れない。勝ちにこだわれば、倒されてからでも、チャンスを狙うのは当たり前かも、なのだ。

 だが、だが、だが、そんなんで勝っても、喜べないのだ、日本人は、きっと。

 だから、柔道ファンの僕の願いはひとつ。ちょっと前の井上クンのように、問答無用の強さで一本勝ちを決めて欲しい。曖昧さを残してはいけない。JUDOに対抗して、ここに柔道ありを見せて欲しいと思うのだ。

KY総理のKYな幕切れ

KYって言葉、知ってる?
はてなダイアリーによると、
こういう意味。

KY=空気(Kuuki)・読めない(Yomenai) の略。
空気を読めない人を差して使われる。
また、転じて「空気読め!」の意で、耳元で「KY」と囁くなどの用法もある。
反対語:KYR=空気(Kuuki)・読める(YomeRu)

ようするにタイミング、
間のとりかたがまずいってこと
数年前から中高生の間で使われ、
今はもう死語になりつつあるらしい
でも、ニュースを見ていて
流行おくれのおじさんはKYだなと思った

安倍クンは
戦後生まれ初の総裁として、
若い世代から期待されていた
それがどうしてこうなったのか?
ひとことで言えば
まわりの環境が最悪で
タイミングが悪かった
安倍クン自体の落ち度は
辞任に追い込まれるほど
大きなものはなかった
ただ、いくつかの
行動と発言で気になったのは
安倍クン自身のタイミングの悪さ
空気が読めてないな、という一点
美しい国は、わかりにくい
強行採決は、続ければ横暴
敗軍の将は、続ければ無残
カメラ目線の無表情な記者会見
ふっと視線をずらしたり
押されたら引いたり
ときには笑いをとったり
「間」というか
そういう会話の妙を会得していない
そこが欠点だなと思っていた

小選挙区制の導入で
派閥の昔の権威がなくなり
いま選挙で勝つには
派閥に頼るのではなく
ダイレクトに民衆に訴えられるかどうか
メディアを味方にできたものが強い
総理の座は、
派閥がまもってくれるのではなく
民衆の支持率が支えているのだ
一度、落ちた支持率だって
逆転のパフォーマンスによって
すぐに上昇してしまうもの
民衆は浮気性でもあるのだ

だから
もっと頑張って欲しかった

あれだけ
党内でパッシングに
あってもなお
継続の意思を通して
KYを徹底するとは
呆れ返るのを
通り越して
あっぱれ!

逆転の秘策
民衆を引き寄せる
戦略を持っているはずと思った
舛添クンの任命は
たしかにグッドタイミングだった

しかし、最後はバッドタイミング
KYはやはりKYのままであった
機は熟さずに落ちた

ほんと、残念である

暮らしやすく、生きやすく、
国際舞台でも尊敬される日本
国づくりの理想に燃えて、
バリバリとみんなのために働く
そんな戦後生まれの宰相が
はやく登場してほしいものだ

上を向いて 夜の星を 見上げて 歩こう

 アメリカのヒットチャートでレコード売上げナンバーワンを記録した、日本で唯一のアーティスト。それが、坂本九だ。彼が歌った「上を向いて歩こう」は、英語圏では「スキヤキ」というタイトルがつけられ、世界中でレコードが爆発的に売れた。
 
 昨夜、NHKのBS2を見ていたら、その坂本九の2時間に及ぶ特集番組が組まれていた。懐かしさと感動のあまり、不覚にも、何度か、涙腺が緩んでしまった。

 九ちゃんは、昭和16年生まれ。「上を向いて歩こう」は、昭和36年(1961)に発売され、日本でもヒットしたが、アメリカでの評価が高くミリオンセラーとなった。このほか海外約70ヵ国で発売され、総売り上げは1300万枚を超えるといわれる。

 昭和32年生まれの僕は、小学生低学年の頃、近所のお兄ちゃんと銭湯に出かけた帰りの道すがら、夜空を見上げながら、そのお兄ちゃんが歌って聞かせてくれたのが印象に残っている。いい鼻歌だった。お兄ちゃんには、何かつらいことがあって、それを振り切るように口ずさんでいた。

 音楽は国境を越える。

 ポップスでは、ビートルズに代表されるように言語の違い、人種の違いをまたいで、まさにグローバル・スタンダード(笑)を確立した例がいくつもある。スタンダードとなる楽曲の条件は、シンプルであること、覚えやすいこと。歌詞の意味がわからなくても、心の琴線にふれる歌に出会うと、人は民族の違いを越えて感動を共有できる。なぜ、だろう。

 作詞、永六輔。作曲、中村八大。歌、坂本九。この「上を向いて歩こう」トリオで、昭和のもうとつの名曲「見上げてごらん夜の星を」も生まれた。永六輔の歌詞がまた素晴らしい。日本人に生まれて、この歌詞に感動できることに感謝。そして、九ちゃんの笑顔あふれる歌いっぷりは、いま、あらためて映像で見てみると、すごい新鮮で、なんだか涙がでちまうほどのピュアな心情が伝わってくるのであった。

 近頃、昭和30年代が映画の舞台としても脚光を浴びるようになってきた。その時代、みんなの心がひとつになれたような気がする。戦後の高度成長は、やがてアメリカ文化の模倣から価値観の多様化とか個人主義とか、「個性」という名のもとに日本人は、ものすごく多くの何かを忘れ去ってきたような気がする。

 その「何か」とは、何か?

 「スキヤキ」は、日本語で歌われて、全世界でヒットした。海外進出をするため、という理由で英語の歌詞を無理に使わなかった。この出来事は、現代の我々に何を意味するのか。
 日本が国際社会で、きちんとしたポジショニングを得るためには、だから、もっと違う本質的なアプローチが必要なのではないか、と。その「何か」にヒントがあるように思ったりするけれど、これって、問題がかなり大きすぎるよね。
 まっ、結論なんか出せないんで、つれづれに、考えることにいたしましょう。

 最後に、「上を向いて歩こう」が時を越えて、平成のいまも健在である証拠をひとつ。
 Wiki「上を向いて歩こう」より下記引用。

2005年6月から「上を向いて歩こう」がイギリスの携帯ネットワーク会社スリー・モバイルのCMソングに起用され、問い合わせが殺到。同年8月29日にイギリスで坂本九のアルバム「メモリアル・ベスト」が発売された。9月には「上を向いて歩こう」をシングル発売。