カテゴリー : 時事・世相

矢沢永吉を好きな人たちが好きだ

矢沢永吉ファンが武道館に足を運ぶ。
白いスーツ、黒いシャツ、
長いビーチタオルを巻きつけて
武道館までの道を闊歩する。
ひとりではない。
仲間といっしょに歩く。
似たような集団が現われる。
みんな顔馴染みなのだろう。
サングラスで目は見えないが
にこやかに握手を交わす。
みんな40代くらいの中年だ。

なんて楽しそうなんだろう!
きっと心がピュアなんだろうな。

僕の世代は、一世を風靡した
暴走族の終末に立ち会っている。
高校生のとき、
暴走族の取締りが厳しさを増し、
バイクの免許取得に限定がつき、
大きな族が次々に解散に追い込まれた。

キャロルというロックバンドも、
僕が高校3年生の頃、解散コンサートをやった。
だが、リーゼントに皮ジャンという
暴走族ルックスは僕にはピンと来なかった。
僕は長髪でGパンをはいて、
学校をサボってはジャズ喫茶に通い、
ニューシネマとギターと読書に没頭していた。
どちらかといえば、ネクラ系。
矢沢永吉には、まったく興味がなかった。

それから矢沢永吉がソロ活動をはじめ、
スター街道をまっしぐらに突き進み、
武道館を満杯にしているのは知っていた。
熱狂的なファンが多く、会場では喧嘩が勃発。
社会問題化した時期もあったように記憶している。
しかし、それだけなら、
ローリングストーンズのような
ミックジャガーのような
ヤンチャなロックスターで終わったはずだ。

矢沢永吉はある時期から
ロック歌手という存在を超えてしまった。

そのきっかけは「成り上がり」という自伝本だろう。
糸井重里がゴーストライターとして書いた
この本はベストセラーとなった。
矢沢永吉は「成り上がり」によって、
ロックスターでありながら、
成功哲学の伝道者となったのだ。

矢沢永吉は、自分のことを「矢沢」と呼ぶ。
「サイコーだね」と自分で自分を盛り上げる。
矢沢は矢沢というキャラクターを見事に演じきる。
何よりも、成功のイメージを強烈に持っている。
キャデラックに乗ってタバコを買いに行きたい。
具体的なイメージを描き、それに向かって突っ走る。
夢はかなうんだ、という生き証人。
長島茂雄という野球の天才に通じる
天然の、ほぼ完璧なキャラクター、YAZAWA。
インタビューに答える矢沢はカッコいい。
無理していない自然体のように演じている。
どのシーンを切っても、YAZAWAが現われる。

僕はこの歳になって、
ようやく矢沢の魅力がわかりはじめた。
矢沢が矢沢であり続けるのはスゴイことだ。
その姿を真似したくなるのもまたステキなことだ。
このように音楽家が音楽という表現を超えて
生き方のメッセージを伝える媒体になるのは稀有なこと。
そういう意味で、いちばん近いのは、ジョンレノン。
YAZAWAとLENNON…メッセージの内容は遠いけれど、
表現者としての、ある境地を極めていると思うのだ。

平田オリザさんは、社交性の方であった

1月13日、長野に平田オリザさんがやってきた。
長野のSNSとして頑張っている「N」(エヌ)の主催。
ToiGoという場所でワークショップと講演会が行われた。
イベントの概要はこちらをどうぞ。

午前のワークショップは途中からの見学だったが、
午後の講演会はしっかりと聴いたのであった。
日本の教育のあり方や演劇による地域活性化の話など
とても興味深いテーマであり、内容も面白かった。

いろいろな話を展開されたのだが特に印象に残ったのは、
日本の教育が「協調性」を重視してきたという指摘。
協調性を重視して、みんなが同じ方向を向いて、
その結果、何が、いま、起こっているか。

たとえば、6カ国協議における日本は、
協調してくれない国に対していらだちを隠せない。
かたや歴史が浅く多国籍多人種の国は、
それぞれの違いを認めつつどうするかを考える。

まずはバラバラの個性を認めて、そこから解決の道を探ることが、
これからの日本では重要ではないか、とオリザさんは言う。
それを「協調性」から「社交性」へという
ひじょうにシンプルな言葉に収斂させていた。
日本が国際社会において孤立せず、
また国内のグローバリゼーションに対処して、
チカラ強く生き残っていくためには、
日本人よ、もっと社交性を身につけよ。
社交性とはつまりコミュニケーション能力である。
この能力を身につけるために、
「演劇」もひとつの有効な手段として検討されていい、と。
2時間、聴衆を飽きさせない話術は一流である。

僕は、平田オリザさん初体験。
彼の著作も舞台も、まったく知らない。
たまにコメンテータとして、
テレビ出演しているのを見かけた程度。
ちょっと変わった文化人だな、くらいの認識。
あえて先入観を持たずに講演を聴いた。

その内容はおもしろく、示唆に富むものではあった。
触発される部分も多々あったのだが、
僕としては、何か、もやもやした感じが残った。
それは、きっと演劇のチカラに対して、
僕が強いイメージを持っていないからだろう。
教育としてのプレイする演劇と、
娯楽としてのエンジョイする演劇。
コミュニティにおける演劇的なるものを、
21世紀の現代にどう復活させられるか。

僕は、どうもイメージできないのだ。
平田オリザさんの芝居を見れば、
何かつかめるのかも知れない。
もしくは、それぞれがそれぞれのビジョンを
描いてくれるようインスパイアしているのかも知れない。

そう言えば、オリザさんは、
自らをトリックスターだと言ってたなぁ。

半農半ビジネスをめざそう!

今年で、お米づくりは5年目になる。
昨年から、畑にもチャレンジしている。
まだまだ自給自足にはほど遠いけど、
お遊びの農業ではあるけれど、
やっていて実に楽しい。充実感がある。
お米なんか、毎日食べるものだから、
毎日、感謝の気持ちが芽生えてしまう。

それで、今までアタマの中でしか
イメージしていなかった生き方が
がぜん身近に感じられるようになった。

それは、半農半ビジネスの生き方。

現代社会で生きていくには、
お金はどうしても必要だ。
お金さえあれば、
人生の問題の99%は解決できる。
とゆうようなことを
テレビで女医タレントが言っていた。
これは視聴者の99%から
反感を買う言葉であろうが、
残念ながら真実を含んでいる。
ともあれ、生活するための衣食住。
服も住まいもお金が必要、
食だってスーパーで買うときも、
自分でつくるとしても
耕す土地やタネにもお金が必要。
家族ができれば
教育費やなんやかんや。
ガソリン代や電気代や灯油代や
水道代やあれやこれや。
そうだ、保険や年金もあった。
世の中がそのようになってるのだ。
これは、もう、しかたがない。
まぁ、あたりまえに労働して
お金を稼ぎましょう。
自分の役割を知り、
それを社会に役立てて
お金を稼ぎましょう。
ビジネスでたくさん儲けるのは、
人の幸せを増やすことになり、
これはけっして悪いことではない。

でも、ふと、思ったりするのだ。
もし、食糧危機が訪れたら、
いくら山ほどお金があっても
食糧が手に入らなくなったら、
ヤギさんみたいにお金を食べるのかな、と。

そんな最悪のシナリオは無いにしても、
農に携わっていることによって、
ちょっとした安心感は得られるだろう。
もし、明日、スーパーから
お米がなくなっても当分は蓄えがあるから安心。
自分でつくった低農薬の作物だから安心

現実的な食の安心感が得られるとともに、
もっと何よりも、いちばん大きな収穫は、
お金以外の価値を実感できることだ。

半農半ビジネスをみんなが
どんどんやっていけばいいと思う。
僕もまだまだ中途半端だけど、
半農半ビジネスという生き方が
もっとスタンダードになれば、
日本の食糧自給率アップにつながる。
この際、農のあり方を問い直して、
小さな単位のエコロジカルな農を実践していこう。
そして明治前の日本人のように
肉食を廃して食生活を質素なものにしていこう。
そうすれば、
地球という惑星に優しい貢献ができるだろう。

ちょっと話の展開が大げさすぎたかな(笑)

今年は北京オリンピックと飯綱高原イヤー

あけまして、おめでとう、ございます。

年頭ですから、年頭らしく、
2008年は、どうなるのか、ちらりと考えてみると、
まず地球温暖化の影響が、かなり強く出てきそうですね。
異常気象という言葉が死語になるくらい、
異常気象が当たり前になってきていますから。
「異常も日々続くと正常になる」という
むかしの映画の名コピーを思い出します。
そう、じわりと日本列島は亜熱帯化しています。
それに対して、どう考えてどう行動すべきか。
政府レベルでの大胆な政策転換も必要でしょう。
そのためには、国民ももっと勉強しなくてはね、
という一年になるのではないでしょうか。

まぁ、マクロから視点をアジアに向けると、
隣国である中国の動きが特に気になりますね。
中国の排気ガスは、こちら信州にも影響しますもん。
北京オリンピックの開催年ですから、
日本が東京オリンピックを開催した頃の
イケイケムードで環境破壊問答無用にならないよう
あれから半世紀近く立ってるんだから、
そこんところ現代の知を持って対処してください。
と信州の山奥から叫ぶ僕です。

さらに、視線をもっと身近に向けると、
僕の地元である飯綱高原が
長野市の観光施策として重点的に取り上げられます。
エコールド松代、昨年の戸隠イヤーに続いて
今年は飯綱高原イヤーとなります。
善光寺のご開帳も来年に控えて、
長野市近辺と飯綱高原がちょっと盛り上がりそうです。

仕事柄、いろいろ関係していますが、
できれば、地球規模の動きとリンクした
そのようなコンセプトで地域を盛上げたい。
地域の課題は地球の課題にもつながるのではないか。
でも、人間って、アタマでは理解できても、
いざ、実行しようということになると、
なかなか、既成概念のしがらみがあって…
そこをスムースに進められるよう取組む次第。

まぁ、あれやこれや、すべてがトライアルです。
いつの年もそう思うけれど、
今年は特に地域を含めて、
いい年にしたいな、という思いが強いです。

今年、
このブログでもあれこれ書きますが、
よろしくお願いします。

愛を知り、命を育み、偽りに裏切られ…

一昨年は「愛」、昨年は「命」、
そして今年を象徴する漢字は「偽」。
さまざまな新聞やテレビで報道されたから、
みなさん、もうご存知だろう。

「人」が「為」した不祥事続々 今年の漢字に「偽」

これが発表されたのは12月12日だが、
僕が、ひとつ前に書いた記事は
12日の午前1時頃だ。
だから、この発表を受けて書いたのではない。
僕は、今年を「不まじめ」な年であるとして、
いま動きつつある「まじめ」復権の兆しを書いた。

一年の総括の時期だから、
今までの流れを整理するのは大切だ。
でも、「そうなんだよな」という
過去の事実に留まっているとおもしろくない。
そこから、何を発見するか。
その事実が、次の時代にどうつながっていくか。
占い師ではないから、アタリハズレは関係ない。
どう感じて、どう考えたか、そこが重要だ。
さらに、どう動いていくか、それは、もっと重要。

今年の僕は、動きが足りなかった。
ま、そういうときは、準備期間だった、と総括しておこう(笑)。