カテゴリー : 時事・世相

求職学生諸君、100個の質問に答えよ

 昨年から僕は、「キャリアキャンパス」という情報誌の巻頭記事を書かせていただいてる。長野県内で就職を希望する学生たちに向けて、毎回、どのような内容にするか、編集部といろいろ打合せしながら書くテーマを決める。そんな関係もあり、企業の人事部の方やキャリアコンサルタントの方ともお話する機会が多くなった。

 インターネット上の情報をサーチしていても、今までは興味のなかった就職関連の記事が眼に留まる。で、最近、おもしろかったのがFPNというニュースソサエティの以下の記事。ページビューが現時点で72288pというとんでもない数字になっている。

面接で聞かれる可能性のある100の質問集

 この記事の中では、あたりまえの質問以外の質問の紹介がおもしろい。

58.この鉛筆を売ってみてください。
88.はかりを使わずに飛行機の重さを量るにはどうしたらいいでしょうか。
100.鉛筆の利用方法で「書く」以外のものを10個挙げてください

 コピーライター募集の採用テストにもそのまま使えそうな内容ではある。

 この記事のネタになったのは、米大手求人サイトMonster.comのコラム“100 Potential Interview Questions”。
 僕は英語力に自信がないので、下手な翻訳はここではできないが、現役の学生たちは、英語の実力テストのつもりでこの原文に挑戦してみてはどうだろう。

 ともあれ、100個も質問を考え出した、その力わざが、あっぱれ! 求職中の君が、これらの問いに、しっかり自分なりの答えを用意できるようになれば、もはや、どこを受けても合格できる面接のプロだ(笑)。

唐十郎の時代

『煉夢術』というタイトルに惹かれた。
錬金術ならぬ『煉夢術』とは何事か?
そしてカバーのイラストが秀逸であった。

高校生のころ、唐十郎に対する
それほどの思い入れもなく、
本屋での偶然の出会いによって、
僕は唐十郎の戯曲『煉夢術』を読むことになった。

60~70年代のアンダーグラウンド、略してアングラを、
僕は大人としてではなく思春期のころに知った。
当時の若者雑誌である平凡パンチなんかは、
アングラ文化を応援している気配もあって、
高校生の僕は裸のグラビアにどきどきしながら、
この雑誌によって横尾忠則や寺山修二の名前も知った。
このとき唐十郎を読んで、すぐ新宿花園公園へ行けば、
リアルタイムにおもしろい体験ができたのだが、
あいにくそのころの僕は埼玉県で悶々としていた。
同世代の小説家、田口ランディさんは心がけが良いね。
寺山修二の教えに感動してすぐ天井桟敷をノックしたようだ。

出不精で書斎派だった僕が、実際に、
アングラ演劇に接したのは、大学生になってからだ。
なぜか、テント公演をやる大学の演劇研究会に入部。
先輩たちの劇団「無頼派」の旗揚げに立会い、
続けて「夢の遊民社」の旗揚げ公演を見た。
唐十郎は『糸姫』か『下町ホフマン』だと思うが、
初めての唐十郎体験は強烈だった。
佐藤信の黒テントや暗黒舞踏もおもしろかった。

あぁ、これが憧れのアングラ演劇かぁ。

僕は、不条理とか、シュールレアリスムの文学的下地があり、
なんの抵抗感もなく、アングラ演劇を受け入れることができた。
ストーリーとしては、わけのわからん展開を見せる
アングラ演劇を理屈で追いかけようとしたってダメだ。

劇研の内部では、新劇への批判が激しかった。
アングラが政治運動の一環であるという主張もあり、
唐十郎の特権的肉体論とか、吉本隆明の共同幻想論とか、
埴谷雄高の死霊とか、アングラを語る上で「思想」は不可欠だった。
まぁ、難しい顔をして、難解な用語を用いて、
それが女の子たちに受ける時代だったのだね(笑)。

唐十郎は特権的肉体論といって
戯曲によって演じられる役ではなく、
役者がその人間としての存在を賭けて
その場に時空間を背負って立っていることを重視した。
つまり、役になるより、あなた自身になれってことかな。
根津甚八、小林薫、不破万作、四谷シモン、大久保鷹、そして李礼仙。
魅力的な役者がたくさんいて、確かにみんな特権的肉体だった。
それと唐十郎演劇を特徴づけたのは、
やはりテントによる興行スタイルだろう。
唐十郎はその演劇言語とテントによって、
日常と非日常の境がなくなる瞬間を演出した。
ラスト近く、テントのどこかがパアーと開け放たれ、
そこから外の風が吹き込み、
われわれを一挙に異次元へ運ぶ。
われわれを因果律の鎖から解き放ってくれる。
そのドラマツルギーが醍醐味であったようにも思う。

僕は、唐十郎に触発されたオリジナル戯曲を書いて、
その演出をして、テント公演をして、それからワケアッテ、
アングラな日々は、21歳で終わってしまった。
その後の唐十郎やアングラは、追いかけていない。
ここ長野市でも紅テントは何度か公演され、
数年前、20数年ぶりに舞台を見たが、
残念ながら、もはやアバンギャルドではなく、
かつての感動は甦らなかった。

今月の末、1月31日~2月3日まで。
長野市内のネオンホールという小さな空間で、
唐十郎の作品が上演される。
30代の清水隆史さんが演出を手がけ、
長野市内で活動する劇団員やまったくの素人も含め、
20人くらいの若い役者たちが『ジャガーの眼』(1985年)をやる。

いま、なぜ、若者たちが唐十郎なのか。
長野のアングラなるものは、どこへ向かうのか。

カルチャーはつねに辺境から起こるものだが、
善光寺へ向かう王道から少し外れた
ここネオンホールへ、この芝居を観に行きたいと思う。

矢沢永吉を好きな人たちが好きだ

矢沢永吉ファンが武道館に足を運ぶ。
白いスーツ、黒いシャツ、
長いビーチタオルを巻きつけて
武道館までの道を闊歩する。
ひとりではない。
仲間といっしょに歩く。
似たような集団が現われる。
みんな顔馴染みなのだろう。
サングラスで目は見えないが
にこやかに握手を交わす。
みんな40代くらいの中年だ。

なんて楽しそうなんだろう!
きっと心がピュアなんだろうな。

僕の世代は、一世を風靡した
暴走族の終末に立ち会っている。
高校生のとき、
暴走族の取締りが厳しさを増し、
バイクの免許取得に限定がつき、
大きな族が次々に解散に追い込まれた。

キャロルというロックバンドも、
僕が高校3年生の頃、解散コンサートをやった。
だが、リーゼントに皮ジャンという
暴走族ルックスは僕にはピンと来なかった。
僕は長髪でGパンをはいて、
学校をサボってはジャズ喫茶に通い、
ニューシネマとギターと読書に没頭していた。
どちらかといえば、ネクラ系。
矢沢永吉には、まったく興味がなかった。

それから矢沢永吉がソロ活動をはじめ、
スター街道をまっしぐらに突き進み、
武道館を満杯にしているのは知っていた。
熱狂的なファンが多く、会場では喧嘩が勃発。
社会問題化した時期もあったように記憶している。
しかし、それだけなら、
ローリングストーンズのような
ミックジャガーのような
ヤンチャなロックスターで終わったはずだ。

矢沢永吉はある時期から
ロック歌手という存在を超えてしまった。

そのきっかけは「成り上がり」という自伝本だろう。
糸井重里がゴーストライターとして書いた
この本はベストセラーとなった。
矢沢永吉は「成り上がり」によって、
ロックスターでありながら、
成功哲学の伝道者となったのだ。

矢沢永吉は、自分のことを「矢沢」と呼ぶ。
「サイコーだね」と自分で自分を盛り上げる。
矢沢は矢沢というキャラクターを見事に演じきる。
何よりも、成功のイメージを強烈に持っている。
キャデラックに乗ってタバコを買いに行きたい。
具体的なイメージを描き、それに向かって突っ走る。
夢はかなうんだ、という生き証人。
長島茂雄という野球の天才に通じる
天然の、ほぼ完璧なキャラクター、YAZAWA。
インタビューに答える矢沢はカッコいい。
無理していない自然体のように演じている。
どのシーンを切っても、YAZAWAが現われる。

僕はこの歳になって、
ようやく矢沢の魅力がわかりはじめた。
矢沢が矢沢であり続けるのはスゴイことだ。
その姿を真似したくなるのもまたステキなことだ。
このように音楽家が音楽という表現を超えて
生き方のメッセージを伝える媒体になるのは稀有なこと。
そういう意味で、いちばん近いのは、ジョンレノン。
YAZAWAとLENNON…メッセージの内容は遠いけれど、
表現者としての、ある境地を極めていると思うのだ。

平田オリザさんは、社交性の方であった

1月13日、長野に平田オリザさんがやってきた。
長野のSNSとして頑張っている「N」(エヌ)の主催。
ToiGoという場所でワークショップと講演会が行われた。
イベントの概要はこちらをどうぞ。

午前のワークショップは途中からの見学だったが、
午後の講演会はしっかりと聴いたのであった。
日本の教育のあり方や演劇による地域活性化の話など
とても興味深いテーマであり、内容も面白かった。

いろいろな話を展開されたのだが特に印象に残ったのは、
日本の教育が「協調性」を重視してきたという指摘。
協調性を重視して、みんなが同じ方向を向いて、
その結果、何が、いま、起こっているか。

たとえば、6カ国協議における日本は、
協調してくれない国に対していらだちを隠せない。
かたや歴史が浅く多国籍多人種の国は、
それぞれの違いを認めつつどうするかを考える。

まずはバラバラの個性を認めて、そこから解決の道を探ることが、
これからの日本では重要ではないか、とオリザさんは言う。
それを「協調性」から「社交性」へという
ひじょうにシンプルな言葉に収斂させていた。
日本が国際社会において孤立せず、
また国内のグローバリゼーションに対処して、
チカラ強く生き残っていくためには、
日本人よ、もっと社交性を身につけよ。
社交性とはつまりコミュニケーション能力である。
この能力を身につけるために、
「演劇」もひとつの有効な手段として検討されていい、と。
2時間、聴衆を飽きさせない話術は一流である。

僕は、平田オリザさん初体験。
彼の著作も舞台も、まったく知らない。
たまにコメンテータとして、
テレビ出演しているのを見かけた程度。
ちょっと変わった文化人だな、くらいの認識。
あえて先入観を持たずに講演を聴いた。

その内容はおもしろく、示唆に富むものではあった。
触発される部分も多々あったのだが、
僕としては、何か、もやもやした感じが残った。
それは、きっと演劇のチカラに対して、
僕が強いイメージを持っていないからだろう。
教育としてのプレイする演劇と、
娯楽としてのエンジョイする演劇。
コミュニティにおける演劇的なるものを、
21世紀の現代にどう復活させられるか。

僕は、どうもイメージできないのだ。
平田オリザさんの芝居を見れば、
何かつかめるのかも知れない。
もしくは、それぞれがそれぞれのビジョンを
描いてくれるようインスパイアしているのかも知れない。

そう言えば、オリザさんは、
自らをトリックスターだと言ってたなぁ。

半農半ビジネスをめざそう!

今年で、お米づくりは5年目になる。
昨年から、畑にもチャレンジしている。
まだまだ自給自足にはほど遠いけど、
お遊びの農業ではあるけれど、
やっていて実に楽しい。充実感がある。
お米なんか、毎日食べるものだから、
毎日、感謝の気持ちが芽生えてしまう。

それで、今までアタマの中でしか
イメージしていなかった生き方が
がぜん身近に感じられるようになった。

それは、半農半ビジネスの生き方。

現代社会で生きていくには、
お金はどうしても必要だ。
お金さえあれば、
人生の問題の99%は解決できる。
とゆうようなことを
テレビで女医タレントが言っていた。
これは視聴者の99%から
反感を買う言葉であろうが、
残念ながら真実を含んでいる。
ともあれ、生活するための衣食住。
服も住まいもお金が必要、
食だってスーパーで買うときも、
自分でつくるとしても
耕す土地やタネにもお金が必要。
家族ができれば
教育費やなんやかんや。
ガソリン代や電気代や灯油代や
水道代やあれやこれや。
そうだ、保険や年金もあった。
世の中がそのようになってるのだ。
これは、もう、しかたがない。
まぁ、あたりまえに労働して
お金を稼ぎましょう。
自分の役割を知り、
それを社会に役立てて
お金を稼ぎましょう。
ビジネスでたくさん儲けるのは、
人の幸せを増やすことになり、
これはけっして悪いことではない。

でも、ふと、思ったりするのだ。
もし、食糧危機が訪れたら、
いくら山ほどお金があっても
食糧が手に入らなくなったら、
ヤギさんみたいにお金を食べるのかな、と。

そんな最悪のシナリオは無いにしても、
農に携わっていることによって、
ちょっとした安心感は得られるだろう。
もし、明日、スーパーから
お米がなくなっても当分は蓄えがあるから安心。
自分でつくった低農薬の作物だから安心

現実的な食の安心感が得られるとともに、
もっと何よりも、いちばん大きな収穫は、
お金以外の価値を実感できることだ。

半農半ビジネスをみんなが
どんどんやっていけばいいと思う。
僕もまだまだ中途半端だけど、
半農半ビジネスという生き方が
もっとスタンダードになれば、
日本の食糧自給率アップにつながる。
この際、農のあり方を問い直して、
小さな単位のエコロジカルな農を実践していこう。
そして明治前の日本人のように
肉食を廃して食生活を質素なものにしていこう。
そうすれば、
地球という惑星に優しい貢献ができるだろう。

ちょっと話の展開が大げさすぎたかな(笑)