カテゴリー : 広告論
マーケティング(marketing)とは、企業や非営利組織が行うあらゆる活動のうち、「顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその商品を効果的に得られるようにする活動」の全てを表す概念である。よく使われる説明として、「マーケティングとは売るための仕組みづくりである」というのもある。さらに、広告や販促活動と一線を画すものとして…
一般的にビジネスの現場やマスメディアにおいては、広告・宣伝、集客や販促活動のみをマーケティングと捉える傾向が強いが、これは本来のマーケティングの意味からすれば誤解である。広告よりも一段上の立派な概念として、マーケティングが定義されている。広告なんて、売るための単なる表現なんだから、それよりも、トータルな仕組み=システムを考えなくちゃダメなんだ。と言われると、まさに正論のように思えてくるではないか。 それでも…と思うのだ。この仕組みを考えるというのが、くせ者で、今までにない仕組み、アイデアを考えることができれば、その人はそのアイデアだけで起業することができるだろう。スーパーストアを最初に考えた人はエライ、コンビニエンスストアを最初に発想した人はエライ。これぞ本物のマーケティング力だ。 新たなビジネスモデルが生まれたとき、それをマーケティングの成功例として取り上げるのは簡単だ。そういう成功例をいくつも引き合いに出して、コンサルタントと称する輩がいる。実際の現場でも、新たなアイデアや発想ではなく、既存システムの利用法に目を向けてることが多いように思う。マーケティングリサーチというシステムを使う、ソーシャルメディアの活用といってネット・システムを使う。販路の拡大と称してイベントや直売などの販売システムを使う。システムの選択肢はいくつもあって、それを組み合わせることでマーケティングの実践と呼んでいる。 まぁ、それはそれで、僕もクライアントに提案することもあり、効果が上がれば結果オーライ。だが、既存のシステムを提示するのと、本来的な仕組みを発想するのとでは、次元が全く異なるのではないか。マーケティングという言葉があまりにも広義で曖昧さを残しているため、システムの活用こそマーケティングである、と多くの人に勘違いされてはいないか。また、その勘違いを利用している人もいるのではないか、と。 ひとくちにマーケティングと言っても、「顧客が真に求める商品やサービスを作り」という、最初の商品開発の段階がいちばん重要であるように思う。そこに求められるスキルは、システムの知識ではなく、現代社会や生活者への深い洞察とひらめきである。ただ、そこはメーカーがメーカーたる肝の部分であり、外部の会社へアウトソーシングすることは少ないはずだ。われわれ広告屋だって、この段階から関与することもあるが、それは、きわめて稀である。通常は、誕生した商品やサービスを、どのように成長させて、みんなに好きになってもらえるかを考える。産みの親ではなく、育ての親。自分の立場をわきまえている。広告屋は、おくゆかしいのだ。ここに徹することで、育ちやすい環境を整え、商品の本性を変えることなく、人の心に訴えかけるデザインや言葉を生み出す。広告は、たかが表現手法ではあるけれど、その表現によって、人の心は動く。そのような人の心の動きを考えて、システムを提案すればいい。システムが先行して人の心が動くことはない。もし、動いたとしたら、そのとき、そのシステムには、すでに心動かす表現が乗っているのだ。 広告屋は、マーケティングが騒がれる前から、人の心理を洞察し、そこにアイデアや発想を加えていくプロフェッショナルだった。そろそろ、マーケティングという言葉に「過剰な期待」を寄せるのはやめにしよう。広告そのものを見直してみようよ。我田引水になってしまうけど、そういう時代の空気を、最近、感じはじめている。これって、広告屋の「願望」的観測かな?
例年、このブログでは電通発表の媒体別広告費を取り上げてきた。広告系のメルマガたニュースサイトによって、今までは、このニュースを知っていたのだが、今年は、ツイッターによって、あっ、発表されたんだ、と知ることになった。
>2010年インターネット広告費=新聞広告費+ラジオ広告費(“日本の広告費”をグラフ化)
既存マスメディア媒体の広告費の落ち込みは、いまだに続いているが、これは、景気の落ち込みとも重なっている。いろいろな見方があると思うが、マス媒体の落ち込みは、それほど大きくはなく、期待を込めて、これで下げ止まりになってほしいのだが…。
長野のような地方都市においては、パチンコ店などBtoC企業の広告もあるのだが、県の産業構造としてはBtoBの企業が多く、マスメディアによる広告は人材採用を目的にしたものが多い。それでも当然ながら、県民の消費活動はなされているのであり、BtoCの小さな商店がもっともっとマス広告を打ってもいいとつねづね思っている。マスメディアの広域性は必要ないよ、エリア限定のチラシにしか効果を感じないよ、というのも頷けるところではあるが…小さな商圏にピンスポットのマス広告が安価で出せるようになれば…ネット広告はこの辺の需要に応えられそうに見える。ただ、地方都市では、消費行動のきっかけとなるメディアとして、ネットの力はまだまだ弱い。マスの力がだんぜん強いけれど、小さな商店からすれば、マス広告費の負担は大きい。こういうジレンマを解決する方策は、きっと、あるはず、なんだけどなぁ。がんばれ、地方のマスメディア媒体、ということで。いつもながら、日本の広告費の推移を眺めるのでありました。
コピーライターとして脳みそをぶんぶん唸らせる仕事がようやくひと段落しそうだ。このブログを更新できず、ずいぶんと間が開いてしまったのも、文章量が多かったこの仕事のおかげだ。こんなにまとまった文章量は、久しぶりかも知れない。
振り返ってみると、僕は、コピーライターとして広告業界のキャリアをスタートさせたけど、経験を積むにつれて、ライティングの仕事は徐々に減っていった。30歳になると、ほぼディレクターとしての動きが多くなり…クライアントと打合せして、事務所に戻ってからデザイナーや若いコピーライターとミーティング。その場のブレストでコンセプトはまとめるものの、実際のコピーはほかの人に書いてもらうことが多くなった。もともと広告ビジュアルを考えるのも好きだったから、自分はディレクター向きかな、と思った。それでも、ここ一番の仕事を、コピーライターとして依頼されたりすると、プロ意識が刺激され、徹夜でアイデアを考えたりして、それはそれで充実した気分を味わえた。
僕はディレクターなのか、コピーライターなのか。
ある会議に参加して、ブレストもどきを行いました。僕は、ボランティアとしての立場で参加。コンサルタントと称する人が会議の進行担当です。会議で求めているゴールは、とってもクリエイティブな領域に属していますが、それは果たして会議で合意をとれるものでしょうか。
あるものごとを分析して、そこから一定の答えを導き出そうとする。アンケートをとったりして、みんなはこっちを向いているから、こっちの方向へ行きましょう。こういう民主主義的な方法論からは、突き抜けたアイデアは生まれてこない。そう、思います。いま、ぼんやりとしているコトに言葉とかカタチを与えるのがクリエイターの仕事で、それは参加者全員が納得する表現ではないかも知れません。アナリストは過去を見てる。ちょっと格好良く言うと、クリエイターは、曖昧な未来を見ようとしています。ここは、けっこう大きな溝です。渡ることができるかどうか。いずれにしろ、みんなで渡ることは難しい。みんなで渡ろうとすると、安全なところで手を打つことになります。抜けたクリエイターと酔狂なパトロン。こういう幸せなタッグは最近、少なくなっているような気がします。数値化できないものは信じないという傾向ですからねぇ。ほんとうは、そういう数値化できない曖昧な部分にこそ、時代をブレイクスルーするものが存在していると思うのですが、なかなか、難しいところです。まぁ、めげずに、やっていくことしか、僕にはできませんけれど。