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駿河は曇り空

天気予報では午前中快晴の予想であったが富士市に来てみれば生憎の曇り空で何だか肩透かしを喰らった。今朝は4時起床であったため一日がとても長く感じられこの時間でもう12時間が過ぎようとしている。それはさておきなんだかんだで太平洋岸の陽射しが少しだけ射してそれは暖かい温度を帯びており一瞬だけ富士山の山頂が見えた。合掌。

自己チューという病

あるひとが自分のことを悲劇の主人公に見立て、ほかのひとを非難している。そういうひとは自分に非があるなんてことは思いも寄らない。自己チューの最大の欠点は自分の非にまったく気づかず、もし気づいたとしても、それを認められないことだ。 プラス思考が持て囃された時代がけっこう長く続いたような気がする。今でも、自己啓発セミナーは人気があるし、成功を手に入れ、勝ち組になりたいひとは多いだろう。 個人的な悲劇の主人公か、ビジネス戦線の英雄か、その舞台は異なっていても、自分を自分以外のものに高めたり、低めたり、そういう幻想を抱くという、その根っこにある性向は似ている。 ふと我に帰れば、ひとの醜い部分には気づくけど、症状の違いはあるにせよ、自分だって十分に自己チューな存在である。 もし今、少しでも寂しさや哀しみ、奢りや高ぶりを心に感じたら、それは自己チューに起因していると疑ったほうがいい。 仏教で言うところの平常心。おのれを知ること。頭ではわかっていても、心では理解できていない。それでもめげずに遠い道のりを歩くのが生きるということなのかもしれないなぁ。

横浜出張日帰り打合せ

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今年に入ってから、移動距離がけっこう長い。正月は名古屋で過ごして、仕事始めは東京出張。そして今日は横浜。明日は松本。それ以外にも地区の仕事や取材で市内をチョロチョロ動いていて、デスクに座っている時間が短い。それでも数本の企画書や半期決算の書類を整えたり、いい意味で集中の度合いが高いとも言える。 ブログを書く時間が取れないのが唯一の残念である。つぶやくのは、簡単だけど、ブログを書くとなると、少なくとも30分は欲しい。今まではこのブログでも、つぶやき的な利用はしてきたが、ツイッター以降は多少の差別化はしたいと勝手に思っている。 ツイッターは思いつきや現況を条件反射で書ける。ブログにはたとえわずかでも発見や見解を書きたい。 とは思いつつ、京浜東北線の車中で携帯電話から入力していて、ただいたずらに長いツイッターではないかと反省する自分を発見した。

大晦日

もう大晦日なんですね。 昨日はクライアントのシステム部から緊急の連絡が入って、一瞬だけ仕事モードになりましたが、こちらは基本休みで大掃除モードですから。 年々、一年間のスピードが速くなり、年末になるとやり残したことの多さに愕然とするようになりました。 天才とは持続する意思のことである。誰の言葉か忘れましたが、諦めずに続けることがいちばん大切なんでしょうね。始まりは、思い立ったその日からでいいのです。 まずは始めること。そして続けること。 このブログもけっこう飽きずに長く続いています。投稿記事は五百本近く、来年の三月でまる三年間。 そもそも仕事もけっこう長く続けています。コピーライターとして始めた広告業界のキャリアはもう三十年になってしまうんですね。なんかあっという間でした。 東京時代は有名なクライアントを手がけ、長野に来てから二十年は知名度は劣るけど手応えを感じる仕事をたくさんやってきました。 回想モードに入ってしまうのも、年末の恒例行事のひとつのように思います。 これで今年最後の投稿になりそうです。あとは携帯からつぶやきを流して、紅白歌合戦でも観るのかな。 それでは、みなさんよいお年を!

本日晴天。ヨーコにピース!


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昨夜の金スマにオノヨーコが出演していた。僕よりもちょっと上の世代が同時代のストライクゾーンに当たる。
それでも、僕らにとってもやはりジョン・レノンは素敵な音楽家で素晴らしいメッセージを残してくれた偉大な存在であるし、その伴侶であるヨーコとのライフスタイルや主張も普遍性を帯びたものとして、遠い存在として天界に屹立しているイメージだった。
昨夜の番組ではジョン・レノンとヨーコの人生が振り返られ、とても意義深くまとめられていたように思う。知っていたようで知らなかったエピソードもたくさんあった。
ヨーコのサングラスの意味や軽井沢がそんなに好きだったこと。そして、ハッピークリスマスのプロモーションビデオを全編ノーカットで流したのは、もう素晴らしい快挙だ。それは戦争の悲惨さを伝える映像。手や足を失い、骸となり、戦争の犠牲となった沢山の子供達、泣き叫ぶ大人達、虚ろな目…どこにも救いのない映像にかぶさるハッピークリスマスの聖なるメロディー。プロデューサがこのテレビ番組に賭けた情熱がビンビンに伝わってきた。平和ボケした僕の頬がピシャリと平手打ちされたようだった。
ジョン・レノンが殺害された当日の感想を求められ、ヨーコは長い沈黙に沈んだ。バラエティートーク番組としては、ありえない沈黙の長さ。そのとき遠い世界の住人だったヨーコが等身大の生身の人間として、ここに降りてきた。これも素敵なクリスマスプレゼントのひとつ。今までのヨーコ像を覆すきっかけを与えてくれたのではなかろうか。

テレビというのはマスメディアとしてまだまだ力を持っていて、僕らの考え方の振り子に影響を与える存在だ。娯楽もいいけど、このような深いメッセージを伝えてくれる番組をもっとたくさん作ってほしいな、テレビ局のプロデューサさん。

金スマは飯島愛の時もそうだったけど、愛のあるスタッフが数多く関わっているんだろうなとあらためて思った。