地域は、どこへ向かうのだろう

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ここ数年、地域に関わるボランティアが多くなり、仕事の時間を割いて、業務に支障を来たす場面も増えてきている。自己管理能力に長けていれば、スマートにこなせるのかも知れないが、それでも、その業務量たるや片手間でできるものではなく、半端ではないのだ。

いくつもの関わりの中で、まず感じたこと。地域という共同体の中にあって、現代は、お隣さんのことを知らなくても生きていけるようになった。近所づきあいは、むしろ、わずらわしい。助け合いの精神が、ひじょうに希薄になっているように思う。それに拍車をかけたのが個人情報保護法だ。隣のお宅には、誰が何人住んでどのように暮らしているのか。それを知ることは、余計なお世話なのである。個人情報の侵害なのである。けっきょく、隣には、のっぺらぼうがいて、ある日、その家から死体が発見されたりするのだ。まぁ、それは極端であるにしても、何か、地域のそのようなあり方に納得できないものを感じてしまう。

そういう僕自身は、濃密な地域コミュニティの中で育った人間ではない。父親は岩手の遠野から東京へ出てきて、世帯を構えた。杉並区は、下町とは違って、よそものが多く、よそよそしい地域だったように記憶している。地域を体験したのは、32歳を過ぎて、長野県に移住してきてからだ。地域ぐるみで子供を育てるという感覚が、そこにはまだ生きていた。

ある地方で生まれ育った人間は、地域のつきあいが息苦しかったと言う。東京で暮らすと、しがらみがなく自由な感覚が生き易い、と。それでも、都会にもある種のコミュニティは存在する。たとえば、会社…とか、ね。

都市出身者の田舎への憧憬。田舎出身者の都会への憧憬。無いものねだりではあるけれど、コミュニティというものを鏡にして、人間のありようが見えてくるように思う。

いずれにしろ、永遠の課題、かな。

コメント

  1. カメ仙人 より:

    先日は、ヘンなところに書き込んでしましましてスミマセンでした。

    ところで田舎と都会の問題は、18世紀フランスのサロンで「自然法」と言う議論がありましたね。Kickさんが言うような都会のメリットとデメリット、そして田舎の・・・。

    わたしの卒論の「ルソー」は、田舎生活論者でしたね。それは「エミール または教育について」の著書で残され、後の教育に大変な影響をあたえました。

    田舎の良いところ、都会の良いところ18世紀以来の課題ですね。わたしはたまに都会ですかね。でも長野市街地でさえあまり行ったことがない・・・。カンヅメ生活者ですから・・。

  2. KIKU より:

    >カメ仙人さん
    すいません。システムの不調が原因で、
    コメントが正常に書き込まれませんでした。
    ところで、卒論がルソーなんですね。
    さすが、仙人さんです。

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