農業のその後をあれこれ夢想

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食糧自給率が最悪なわが日本では、天変地異による世界的な食糧危機が訪れた場合、ひとたまりもない。最低な農業政策によって、農業人口は減り続け、農村部は崩壊し、そのツケを支払わされており、まだまだ突破口は見えていない。「食えない農業」に明るい未来はないだろう。
そんな思いを抱き続け、これからは農業だ、と大騒ぎして、6年前から始めた田んぼだが、ことし1年はわけあってお休み。昨年までの5年間、スーパーでお米を買わずに自前でまかなってきたのは、ささやかな誇りであり、自信にはなった。
安心、安全のお米作りを素人3人衆で続けて、いかに無農薬がたいへんかということを実感。自分たちの労働対価を考えれば、ぜったいにスーパーで買ったほうがお得。それでも、3家族でわいわいがやがやと楽しく人力による田植えと収穫を行ってきた。イベントが終わると飲み会をやり、それはそれで、失われたコミュニティの復活のようで素敵な時間であった。
2年前から始めたNPO法人飯綱高原よっこらしょは、遊休農地の活用という目的で立ち上げ、こちらは付加価値のある作物を探ろうという地道な活動を展開中だが、メインの農作業に関しては、さぼり気味でおまかせ状態である。
農業というと、ひじょうに硬くて、業とするには、僕はあまりにも中途半端な関わりである。趣味道楽の域を出ていない。それでも理想は、自分の生活基盤の半分を農業に従事させること。残りの半分を、広告制作業などの実業でまかなうこと。いわゆる半農半○である。
最近、テレビの特集でも若い農業従事者の新しい取組みにスポットが当てられるようになってきた。来たぞ、来たぞ、これからは農業だ!と手放しに喜べないのは、世界的な不況のあおりを受けた雇用不安の解消策のひとつに過ぎないからだ。農業そのものが置かれている環境が良くなったわけではない。自動車産業がダメになって、仕事がなくなったから、そういう人は林業や農業というところに行ってはいかがですか。なんか、この構図は、ちょっと前の介護産業への誘導と似ている。
けっきょく受け皿となる産業の基盤をしっかりとさせなければ、人手だけが移動しても何にもならない。
新しい価値観とともに、新しい生活スタイルとともに、根本的に何かが変わらなければいけないんだろうな。それが何か、といわれても困りますけれど、ね。

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