ある社長の思い出

生きる
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ぼくはコピーライターとして数多くの会社案内を手がけてきた。東京時代はメーカーの製品PR用コピーが多かったのだが、こちら長野に来てからは、BtoBのクライアントが多いこともあり、会社案内の仕事をこなす必要に迫られた。何人もの経営者にお会いして、貴重なお話をたくさん伺ってきた。経営に対する姿勢、人材育成に関する方向性、そしてご自身の生き方についての信念など、社長となる人物はきちんと自分の言葉を持って語ってくれた。創業社長にはクセモノが多く、二代目は優しい人が多く、生え抜きで昇りつめた社長は苦労人が多く、それぞれの個性をもって、責任と自負を持って経営していた。ときには、こんな品格のない奴が社長をやって社員たちは可哀想だなという人もいたけれど…。ぼくは、会社案内をつくる際の取材がほんとうに楽しみだった。そんな中で、とりわけ記憶に残っている社長がいる。その社長は、会社案内をつくる制作スタッフを全員自らの別荘に招待してくれたのだ。自らキッチンに立って鍋料理を仕込み、7名ほどの宴となり、その夜は別荘に全員泊まった。いろいろな話をすることができた。会社のことはもとより、普通のビジネスベースではしなかったであろうスピリチュアルな話題にまで話が及んだ。その社長は、日本全国の神社仏閣めぐりをしたり、インディアンの賢者に教えを請いにでかけたり、さまざまな霊的な出会いを重ねて、ある確信を持つに至ったのだ。そしてその確信をもとにして、経営にフィードバックさせたところ、赤字だったものが数年で黒字にV字回復したのだ。
ぼくらが出会ったのは、すでに回復を成し遂げた時で、その社長はその霊的な体験談を惜しげもなく披露してくれた。おそらく、会社内でそんなことを語ったりしたら、社長はご乱心か!と社員を心配させてしまっただろう。ぼくらは、外部の人間であり、でも会社案内の中に、そのエッセンスを入れて欲しいと社長は考えたに違いない。ぼくは、コピーライターとして、不思議な体験をオブラートに包み込みつつ、真髄となる思想の部分を会社案内に盛り込んだ。デザイナーも、その思想の部分をいかに反映させるかに苦心した。そのようにして完成した会社案内は、とてもチャーミングな仕上がりとなった。また経営についての新しい考え方が盛り込まれ、画期的な内容のものとなった。
ある社長のもとに、ふと舞い降りた天啓は、楔のように魂に打ち込まれ、それが強烈な信念となった。彼は渋る役員を動かし、不安げな社員を動かし、そして会社の仕組みを黒字体質へと急激に変革した。
考えに考え尽くした論理的な結論が、つねに良いとは限らない。考えで出した結論は、考えによってすぐに覆される。そういう考えを超えた直感のようなものが、最後まで信念として残っていくのではないか。
ぼくは、新年の冒頭にそんなことを思い出していた。

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