田口ランディさんのこと

生きる
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むかしパソコン通信というものがあった。インターネットが普及する前、画像はなく、テキストだけの交流だがそれでも面白かった。代表的なのがNiftyServeとPC-VAN。ぼくはNiftyServe派で、そこにはいくつものフォーラムと呼ばれる会議室があった。いまでいう2チャンネルみたいなものだ。ただし、匿名ではない。実名もしくはハンドルネームをつかって発言するのがルールだ。しかも実名をプロバイダー側で把握しているから、変な書き込みをする奴は即刻退場手続きということも可能であった。ユーザー数もそれほど多くはなく、ひとつの会議室に10名から20名くらいがアクティブに書き込みをして、それ以外は黙ってROMっているという環境。ぼくはいくつかのマニアックなフォーラムに入会していた。

その中で本のフォーラムFBOOKがあって、randyというハンドルネームの女性の存在を知った。まだ田口ランディではなく、編集会社に勤めるrandyさんは、当時から、文章に独特の存在感があり、フォーラムのなかでも目立つ存在であった。そのフォーラム主催でたまに創作小説の募集があったり、なんだか文学的な討論があったり、刺激を受けることも多く、けっこう頻繁にアクセスしていた。

いまから30年以上も前の話だから、記憶が曖昧になっているけれど、そのフォーラムの管理者であるシスオペは、当時は確か小説家の水城雄さん。エッセイストの実川元子さんも常連だった。後に小説家になった阿川大樹さんや大崎梢さんも出入りしていた。いま振り返ると、錚々たる面々だ。ぼくは、一度だけ、このフォーラムのオフ会に参加したことがあった。実川元子さんの出版パーティを兼ねて、六本木オフ会が開催されたのだ。そのとき、randyさんとも初対面で、なぜか、数人で二次会に流れ込み、防衛庁近くのバーで朝の5時まで飲み明かした。酔っ払って何を話したかは覚えていない。けれど、明け方の六本木でrandyさんたちと別れるとき、頭の中でこんな妄想がわいた。「この人はインディアンの末裔だろう。それも巫女的な役割をやっていたに違いない」とそれは確信に近いものだった。もし作家になる資質というものがあるとすれば、それは書かざるを得ない衝動があるかどうか。彼女の身体にはそれがあった。ほんとうの言葉は身体からたぎってくるのだ。

randyさんたちとはそのとき以来会っていない。いろいろと大変な時期もあったようだが、いまも現役で書き続けている。インディアンの巫女ではないかというぼくの直感通り、彼女はスピリチュアル系の著作も多くこなしている。やはり、そういう人なのだ。ぼくはアンテナ三部作は読んだが、それから読んでいない。ちょっと過剰な感じがしたのだ。これではこちらが持たない。最近作はどんな感じだろうか。人は成長するんだ。成長しようという意思がある限り、成長する都合のいい生き物だから、彼女の今を読んでみたいとふと思った。

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