1914年 今から100年前 添田唖蝉坊が気になる

時事・世相
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うちの親父は大正5年生まれだから、
もし生きていたとしたら、いま98歳。

と、まずは、自分に引き寄せて考えてみる。

今から100年前の1914年、大正3年、
第一次世界大戦勃発の年だが、日本は、大正デモクラシーの真っ只中にあって、民衆が政治を自分のものとして捉えようとしていた。

民本主義、社会主義、天皇機関説など
自由な思想があっちこっちで議論された。
その時代に生きていないから、
民衆の気分なんて知りようもないけれど、
松井須磨子のカチューシャの歌がヒットして、
モボとかモガとか、お洒落さんが街を闊歩しはじめ、
うきうきした時代のように感じる。

みんながそれぞれに信じた方向へ向かって、
その先には、明るい未来が待っているはずだ、と。

そんな中で、添田唖蝉坊という歌い手の存在が気になる。

Wikipediaに簡単な紹介が載っている。

添田 唖蝉坊(そえだ あぜんぼう、旧字体表記では「添田啞蟬坊」)

「マックロ節」「ノンキ節」「デモクラシー節」「ベラボーの歌」
「ヨカッタネ節」「金々節」…
と当時の文化世相から産まれる軋みみたいなものを歌にしている。

YouTubeで彼の歌を継承している動画を見つけた。

そして昭和5年(1930)「生活戦線異状あり」 を発表。これが最後の曲となる。

翌年、1931年は、満州事変が起こった年だ。

日本は急速に戦争へと駆り立てられていく…
そのとき、民衆、僕らの気分はどう動いていったのか。

僕のおじいちゃん、または、曾おじいちゃんの世代、
いま、添田唖蝉坊が気になる。

と思っていたら、あの名曲「満月の夕」のソウルフラワーユニオンも気にしているようで、

添田唖蝉坊の曲をいくつか現代風にカバーしていた。

これは、心強い! そうでなくっちゃあ。

批判や風刺の精神は、音楽という形を通して、みんなの心に根付いていく。

それを信じている音楽家がまだまだいるのだよ。応援しようぜ。

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