等身大はつまらない

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ある代理店の方と自動車に同乗していて、「等身大はつまらない」という言葉をあの阿久悠が書いていたという話になった。けだし名言であるなぁ。あらためて、阿久悠氏って、素晴らしいな、と。その栄枯盛衰もふくめて、時代を生きた人なんだ、と。

芸能に何を求めるかといったら、やっぱエンターティメントでしょ。日常の延長ではなく、非日常の豊穣な時間。その悦楽にこそ、コインを支払う価値がある。だから、夢と現を彷徨う物語の世界へ僕らを引き込み、できれば気持ちよく騙して欲しいと思う。

先日、大鹿歌舞伎を観てきた。これは大鹿村の村民が出演する、年に2回だけの素人歌舞伎公演だ。まったく期待はしていなかった。しかし、いい意味で裏切られた。特に、太夫の語りと三味線が素人の域を超えている。むろん大鹿歌舞伎は、無料であるから、プロの芸を要求してはいけない。役者たちは、いま一歩、素人の域から踏み込みが足りなかったものの、それにしても演じる舞台と観る観客席との一体感というカタルシスが、ここには確かに存在していた。むしろプロの芸能よりも、ドラマツルギーの本質があるのではないか、と。原田芳夫の遺作となった映画はまだ観ていないが、彼がこの舞台の魅力にはまったのもわかるような気がした。等身大という意味では、大鹿歌舞伎の出演者たちは、等身大ではない。すごく、むちゃくちゃ背伸びしながら、何かをブレークスルーしようとしているように見えた。

AKB48は、等身大のアイドル。クラスにひとりはいそうな女の子。そういう触れ込みではあるが、黒幕の彼はしたたかに計算しているだろう。素人の遊技なんか、誰も振り向かない。そこに素顔が少しでも見えたら、興ざめしてしまう。そういうことを、彼は計算していながら、等身大とうそぶいているだけなのだ。ズルイ。

いま、日本の芸能界は、スター不在の時代を迎えている。スターは神秘のベールをかぶっていなければならない。日常生活が見えてはいけない。マスコミがベールを引きはがしてきたから、もはや、タレントは単なる消耗品だ。バラエティ番組ばかりで、ほら、私は僕は庶民です、と視聴者を騙しながら…その背景にある倫理は、等身大こそ、正しい。でも、これ、民主主義こそ、正義っていうのとなんか近いような気がする。

等身大はつまらない。だって夢がないじゃない。民主主義はつまらない。だって何も決められない…。

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