マリオ・ジャコメッリ 写真家の肖像

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おもしろいテレビ番組がないな、リモコンでチャンネルを変えていたら、なんだかこわそうなおっさんの顔にひきつけられ、それがマリオ・ジャコメッリという写真家だった。NHK日曜美術館。話しているのは、辺見庸という作家。ジャコメッリの写真は、モノクロームで絵のような雰囲気があって、人物が主体だが、とても力のある作品だ。テレビでしか見ていないのに、その力がびんびんに伝わってきた。白黒のコントラストが際立っており、版画とかエッチングとか、そんな感じの作品に見えた。ジャコメッリの言葉として紹介されていたのは、確か「白は虚無、黒は傷跡」というようなもの。その言葉が納得できるような世界観を見せつけられた。でも、なんだかヘンな印象を受けたものも数点あって、こんな風景あるわけないじゃないか。作品として、完成度が高いので、そんな細かなことを指摘しては興ざめかも知れないが、ちょっと気になった。

村人が黒い服を着ている集落を取材した一連の写真では、その構図の完璧さ、人物の表情の切り取り方が、幻想的な世界へいざなう。辺見氏が「異界」という言葉で表現していたが、現実を撮影しながらここまで非現実的な風景になってしまうのはどうしたことか。異界への入口が、この写真のどこかに隠されていて、そこから現れた人物を撮影しているようだ。

老人たちを撮った一連の写真は、見ている僕たちに、まさしく死を連想させる。ここまで残酷に、老人たちを撮っていいものだろうか。死と向き合うこと。写真を見るという体験を通して、僕たちも老人たちを通して、死と向き合っているような感じだ。

僕らは、日常では、死を意識していない。異界も意識していない。僕たちが、いつもの日常生活で封印している感覚を、これらの写真は眼のまえに突き出して見せるのだ。

中原中也の詩を思い出した。

ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ
ヌックと出た、骨の尖(さき)。

以下略

表現者として、曝け出すこと。自分を曝け出すか、他者を曝け出すか。ほんものの表現者だな、このジャコメッリという人。

マリオ・ジャコメッリの展覧会情報については、こちらに詳しい。東京に住んでいたら、見に行けたのに残念。もう終わっている。信濃美術館あたりで、展覧会やってくれないかな。地方都市ではアート写真に対して、あまり積極的ではないから、無理かもね。

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