長野聖火リレーを見て なんだか悲しく 泣けてきた

さっきまで長野駅から善光寺へ続く中央通りにいて、携帯からも生中継で一本投稿したけど、聖火リレーを応援しに行ってきた。

いまも全国ネットのテレビで聖火リレーの様子が放映されているから、だいたいの流れを日本国民はわかるのだと思う。

しかし、現場の空気でなければわからないことがある。

とにかく、現場では、中国の国旗と中国人の歓声ばかりだ。どこから、中国人がこんなに集まってきたのだろうか。学生が大挙押し寄せるという報道はあったが、こんなに歩道を埋め尽くすような人数はちょっとすごい。日本人は少なく、その声援は、ささやき程度。中国語はただでさえ怒っているような言語なのに、みなさん声量も大きく、はっきり言ってウルサイ。長野の中央通りが中華街になったような感じ。「フリーチベット」という声も聞こえてくるが、その声が大きくなると、さらにそれを上回る声量で中国語が鳴り響く。

日本人は、静かな人種なんだなとあらためて思った。

ランナーの中継地点の前に僕は位置していた。走ってきたのは長野オリンピックで活躍した選手、その火を受け取ったのは義足のランナーだ。

警察官が両側を走っているため、ちょっとだけしか顔が見えない。声援の声も中国語にかき消されてしまう。ここは、ほんとに日本なの?長野なの? 長野でやるということは、長野オリンピックを開催した長野でやることは、それなりに意義のあることだと思うのに、こんなカタチで長野市民が応援できないような環境ではまったく意義を見出せない。

中国人とチベット人の政治的な場となっている聖火リレーがここにあった。

人権問題や中国政府に対する私的な意見はあるのだが、それよりも、この現場、長野市の聖火リレーという現場で「オリンピック」というものが持っている2面性を生で体験できたことは僕にとって有意義だった。

国際政治の舞台で何も言えない日本政府。
民衆レベルでも、何も拒絶できないやさしい日本人。

そんな日本人の精神性、それは僕の中にもあって、そんな人の良さがけっこう好きではあるけれど、やはりこれからの国際社会では、ある種、危険を伴う弱さでもあるだろう。

強くなれ、日本人。強くなれ、自分(笑)。

長野で開催された聖火リレーを見て、こんなあれこれを思ってしまうのであった。

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コメント

  1. まっぷ山 より:

    今回は正直言って、、長野民としては侮辱を受けた感じがする。
    広い意味でも、まったくもって、、腹ただしい!

    そもそも中国人や韓国人は、なんであんなに強く
    自己主張をするんだろう??
    立派な文学や教えの歴史も、ちゃんとあるのにな~・・・。

    デリカシーがない人間は、、身近にも居るが、
    本人に告げても、なかなか非を認めない!
    散々かき回しておいて、何食わぬ顔。。
    つくづく共存の難しさ、、理解の難しさ、、をしる。

  2. KIKU より:

    確かに! 一人だと、いい人でも、集団になると、なんか強気になってしまうのは、日本人も同じですよね。

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