遠野の昔話を語る叔母さんたち 1

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この夏、僕は父のふるさとである遠野へ、妻といっしょに出かけた。岩手は、ひさしぶりだ。12年ぶりくらいになろうか。

当時、4駆のランドクルーザの後部座席には、中学生の娘と小学生の息子が瞳を輝かせながら乗っていた。子供たちにとっては、夏休みの一大イベントだ。助手席の妻は交通事故でむち打ちの後遺症が残っており、なるべく高速道路を使わず、途中でキャンプをしながら、ふるさとへの旅をのんびり楽しんだ。

あれから12年。遠野の景色は、すこし変化しているように見えた。町並みが、どことなく整備されて、よそよそしく感じた。僕の感じ方が変わったのか。それとも現実的に造形物が変わったのか。


須知ナヨ叔母さん

父のふるさとは遠野だが、最初はいつも釜石へ向かう。気のいい叔母さんがひとりいて、こちらのお宅で海の幸をごちそうになるのが恒例の楽しみだ。須知ナヨ叔母さんは、遠野からここ釜石へ嫁ぎ、いまや79歳だが、乙女のような心を持った女性で、ほんとうに気持ちも見た目も若い。いや、お世辞抜きで…たぶん誰が見ても叔母さんの実年齢は当てられないと思う。

ナヨ叔母さんは、数年前、ここ釜石で漁火の会というのを立ち上げ、昔話の伝承に尽力しているという。僕たちがお邪魔した日、ちょうど人前で話す場があるというので同行した。1時間半の間に、遠野や釜石の話など20人ほどの聴衆の前で次々に披露してくれた。方言がきびしく、多少不明なところもあるのだが、それでも手振り身振りを交えて、ついつい引き込まれ、あちこちから笑いがこぼれる。叔母さんの昔話を聞くのはこれが初めてだが、お見事です。これは、ひとつの話芸です。動画も撮影したので、そのうちアップしますね。


正部家ミヤ伯母さん翌日は、遠野の正部家ミヤ叔母さんのところへ出かけた。ミヤ叔母さんは、岩手の県民葬となった故鈴木サツ伯母さんとともに、遠野の昔話を200話以上も覚えている語りの名人。86歳という高齢にもかかわらず、要望があれば全国各地を飛び回って、語りを披露している。天皇陛下様の前で昔話を披露したり、テレビ出演をしたり、すでに岩手県内ではけっこう有名人なのだ。

僕の知っているミヤ叔母さんは、テキパキとしていて歯に衣着せぬ物言いで、それでも人への心配りが人一倍ある女性。さすがに気っ風のよさは薄れたものの、その枯れた感じに渋みが加わってきて、語り部としては、一流の領域に達しています。甥っ子が言うと、身内の贔屓目になりますが、今回の旅では動画も撮影してきました。そのうちアップしますので、ご期待ください。


叔母さんたちが遠野の昔話をしていても、実際に、じかに話を聞くのは今回が初めてだった。ものがたりが生まれる現場、かつての日本人たちにとって、昔話は、どのような役割を果たしてきたのか。そして、いま、現代に生きる我々にとって、どのような意味を持つのか。いろいろな意味で、考えることの多い、親父のふるさとへの旅でした。


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