無駄から生まれ、理想へたどり着く…

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世の中、不景気ということで、最近、仕事の受注量が減ってしまいました。この分だと、夏から秋にかけて、暇になるなぁ。そんなときに限って、親しい人たちから、いろいろ企画ものを依頼され、あれもこれもボランティアで一肌脱ぐ羽目になり、まぁ、お金は天下の回りものだから、と自らを慰めつつ、さらに夏は、ふるさと遠野へ、旅にでも出かけようか、と計画したりして、経済的な困窮にますます拍車をかけております。それでも、だいじょうぶ。心だけは豊かに充実しています。

効率を優先する組織では、一銭にもならないボランティアなど許されないし、まして、そんなときに旅行なんて、とんでもないことでしょう。でも、いまは思うんですね。売上げが落ちたときに、がちがちの頭でみんなが集まって会議して打開策を考えても危機感ばかりが募って、いい発想なんかは生まれてこない。誰それが悪いから、こうなったんだ、とか、もっと時間を管理しなくちゃいけない、とか、そんなマイナスな内向きの議論になりがち。会議を開いているだけで安心したりして、やたらと会議の時間が長くなってね。それじゃ、未来が見えてこないでしょう。

この夏、遠野への旅は、ある目的があります。いまはまだ書けないけど、それは将来につながることです。こういう、現状では無駄な行為に、どれだけ目線を向けることができるか。目先ではない、ちょっと未来を見つめて、そして行動に移せるかどうか。また、ボランティアは、その友人が喜んでくれるから、こちらもウレシイわけで、その感動がお金に換算できない収穫です。

人は、「いま」を生きているのですが、未来への「夢」を見ることができます。そして、「夢」がなければ、生きていけない生き物でもあります。現代人が夢を見るためには、まず「効率」が正義であるという考え方から、疑ってみる必要があるでしょう。
そうして、もっと、人間として生きる「夢」を見ましょうよ。そんなことを、日曜の事務所で仕事の合間に思いました。


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